ブログ再開します

FP試験が終わって早速旅行したりしておりました。ブログをほったらかしにしていたのに毎日結構アクセスがあったんですが、どうやら台湾旅行の記事が稼いでるのかなぁ。謎。

ブログが自走してくれている間、試験勉強があまりにも間に合わず自習室を2週間ほど契約して通いつめてみたり、その結果腱鞘炎かと思うほど右手にダメージを受けたり(書いて覚える、これアナログ世代の悲しき性なり)、試験後速攻でジムトレーニングを始めてひよわな筋肉が悲鳴をあげたり(鎖骨の下がずっと痛い。こんなところに筋肉があったのか)、食生活を見直そうとしたらジムの推奨する食事がさらに厳しくてちょっと泣きそうになったり(毎日晩ごはん野菜だけて。働いて帰って来て野菜だけて。)していました。なんかブログのネタは稼いだ気がする。試験に受かった自信はないけど。

という訳で今週からゆるゆるまた書きます。自走してたってことはさほど投稿頻度に関係ないということなのですが(私の場合記事が検索に引っかかるのが大事レベル、つまり質が大事ってことかと)、まぁ、書きたいので書きます。

東京さぬき倶楽部に泊まってみた

先日東京に遊びにいった際、カプセルホテル探訪をやめて、前から気になっていた『東京さぬき倶楽部』に泊まることにしました。麻布にあるこの建物、香川県人の秘密結社と思いきや(思わないか)、レトロ建築愛好者垂涎のホテルなのですよ。知ってました?

 

外観はこんなかんじ

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本館は設計が大江宏によるもので1972年(昭和47年)に建てられたものである。2003年に大規模改築が行われた。別館は明治時代に作られた木造建築であり、真珠王御木本幸吉の別邸でありかつては「紅梅屋敷」と呼ばれていた。都内の一等地にあるが香川県所有地であり、敷地内には職員住宅が併設されている。
引用はWikipediaより。能楽堂なんかを作った、有名な建築家の方が設計した建物だそうです。私は古いビルや昔の家が好きなのですが建築にはまったく精通しておらず、この人がどのくらい有名なのか分かりません。ただ、麻布十番から橋を渡っていかにも下町風情の家の間を抜けると、立派な門越しにこの建物が目に入ります。そして、門の向かいには超近代的なタワーマンションも。その風景と比べたときに、このホテルからは“誰かが昔、情熱を注いでかたちやしくみを考えた”痕跡がある気がします。作り手の存在感が時間を超えて留まっている印象が、私が古い建物に感じる魅力なのかなぁと(古民家なんかだと、住み手の存在感に取って代わる気がしますが)。ともあれ、その存在感のある見た目をざっくり言うと、レトロモダンという印象。今日の部屋は和室のはずなので、ギャップが気になります。入ってみましょう。
 

内装も、モダーン

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入るとすぐにフロントがあります。チェックインを済ませる間に、あちこち見学。シャンデリア?が面白いし、その他の照明も天井の一部に埋め込まれたようなデザイン。階段の手すりはちょっとヨーロピアン。全体に直線的かつ装飾的で、なんというか、かたちでいうと“角丸”な印象。
階段回りも装飾的。床の模様がレトロでかわいいです。しかし、昔の人ってなぜこんなに細部にこだわるんでしょう。今よりも技術的に時間がかかったはずなのに。かけてる予算の違い?それとも人件費の違い??
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部屋は普通、おひとりさまには至極快適

ほぼ最上階の部屋はカジュアルな旅館のような雰囲気。定員四人の部屋に一人なので、広々です。布団が敷かれてて嬉しいよう。ベッド生活者の皆さん、たまの布団っていいですよね。そっこう寝転びました。畳もいい。畳やっぱ最高。家にほしい。
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窓から見る風景は住宅地で静かでした。六本木がすぐ近くにあるとは思えないくらい。でも麻布や六本木って、エアーポケットのようにちょこちょこ昔ながらの場所が残ってるんですよね。
洗面所も古いですが清潔で、全体に大振りで使いやすかったです。私、自分が借りる部屋も多少築年数が経ってる方を推すタイプなんですが、少し昔のものの方が水回りなど備え付けのものが大振りで使いやすい気がしませんか?最新のマンションはあまりに計算されていて、コンパクトかつ無駄がなさすぎてつまらない。
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大浴場もあるのですが、私はその夜へべれけで深夜帰宅したので入れず、どんな感じなのかは不明です。
 

朝ごはんは、うどんだよ!

さすがさぬき倶楽部。朝ごはんは和風洋風うどんから選べます。しかし、前夜にへべれけ予定だった私はちょっと悩み、食べなれた洋風をチョイス。期待に応えられずにすみません。写真もないっす。ちなみに、食堂では圧倒的にうどん派が多数でした。やっぱりね。
 

一番素敵だったのはロビー!
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今回一番力を込めてお伝えしたい素敵ポイントはロビーです。宿泊に直接関係ないけど、なんかいい所に来たなぁと思わせるホテルの顔、ロビー。さぬき倶楽部のロビーは、その辺の若手(若ホテル)には醸し出せない年数を経た落ち着きと、寛ぎと、リッチ感が融合。平日訪問で人がいないこともあって、なんだか美術館の休憩スペースみたい。特にぐっときたのがこの椅子。ソファと座椅子の中間のような大振りの椅子がとっても座り心地がよくて、なんだこれ家に欲しい。座面が低いから、畳に座るような和の寛ぎがあります。壁際のウッドチェアも快適で、背もたれの角度を木の噛み合わせで調節できる機能性もグッド。これもほしーい。

そもそも椅子がほしいなぁと思っていたこともあり敏感に反応したのですが、この椅子たちはジョージ・ナカシマさんという日本人木工家の先駆けの方が作った、今じゃ市場で買えない名品とのこと。道理でいいと思った。椅子についても明るくない私が思わず食いついて検索してしまうくらい、明らかによい椅子です。好きな方はぜひ。たぶん椅子業界では有名なんだと思う。
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まとめ

今回は新幹線とセットのパックを利用したので、宿泊費は5000円くらいでしたが、本来は1万円弱くらいから泊まれるようです。24時間出入りできて、大浴場もあり、一人旅にはとても快適。お土産でさぬきうどんまでついてきました。他へのアクセス至便というわけではないですが、宿泊施設自体を観光地にしたいならぜひ。また、夏はビアガーデンもやってるし、古民家を改装したこじゃれたご飯屋も併設。泊まらない人も、一度ロビーでお洒落な椅子に座ってレトロモダンに浸ってみてはどうでしょうか。

私は三つ編みの前にひれ伏したい

美容師さんが「寝癖が気になるなら、寝癖が紛れるパーマをかけたらどうかなぁ、似合うと思うよ」というので、なるほどそれは便利と思い、奮発してかけたゆるふわパーマが、半月経った今、暴れてます。ゆるふわの名にふさわしからぬ荒れ模様。

どうも、パーマとカラーと夏の日差しのトリプルコンボに対して髪に栄養が行き届かないらしく(なんせ私栄養不足らしいから)、全体的にぱさぱさ。それともこれがニュアンスというやつ?私がゆるふわの範囲を見誤っているだけ??しかし、流さないトリートメントをつけて落ち着かせてから寝ないと、翌朝パーマ用のムースの乗りが悪いという状況からして、単に髪が傷んでるのに1票。誰だ、朝なんて3分もあればセットできて、ストレートよりも便利だなんて言ったやつは。あの若店長、さては利益をとったな(←逆恨みです、はい)。

もっさりした髪型を見ながら、三十路の教典(ただし独身に限る)『東京タラレバ娘』で、主人公が彼氏にソバージュをかけるよう勧められたものの、美容師さんに30歳超えたらパーマは髪が傷む的なことを言われてやめてしまったのを思い出しました。本筋は、彼氏に言われたからって髪型変えないよねっていうエピソードなんだけど、30超えたらパーマもまずいんかと、なんだかそちらに軽いショックを受けた記憶が。真実ではないと、信じたい。

思えば髪を整えたりアレンジをする才能が皆無のままこの年になってしまいました。扱いのいいストレートヘアなのにかまけて、基本的にはドライヤーかけておしまい。できるヘアアレンジはくるりんぱのみ。それだとまずそうな結婚式はアトリエはるかを予約。アレンジ用のスタイリング剤は主に別れた彼氏の置き土産を使用(ごめんなさい、でもメンズの方がさっぱりしてて使い心地がいいのよ)。

そんな感じなので、昔からヘアアレンジができる女子を尊敬します。特に朝の通勤電車で見かけた折りには、もはやありがたいレベル。巻き髪をゆるくまとめた髪型も可愛いですが、ニュアンス重視のアレンジは案外難易度が低く、ワンピースって楽チンだけど実はモテる的な計算が見えますので(何様だ)、私としては“三つ編み一本勝負”を推したい。髪全体を1本の編み込みにして後ろに垂らした髪型です。あれはニュアンスによる逃げ場が少なく、潔い。少女っぽい感じも可愛い。そして私にはできない。

大人の女性になったら、素敵なヘアアレンジもできるようになるんだと思っていましたが、やはり思っているだけではだめでしたね。しかし、いったい何が彼女たちをそうさせるのでしょう。いつでも可愛くありたい気持ち?もしくは溢れんばかりのクラフトマンシップ?そもそも朝の時間の使い方はどうなっているのかと思いを馳せて…、うーん、彼我の差が遠い。パーマすらもて余す我が頭を振り、いっそ三つ編みの前にひれ伏したくなる私です。

帰ってから、書いておこうと思ったのだ。

料理家の高山なおみさんのファンです。
暮しの手帖もそうだけれど、他の雑誌でも本屋の立ち読みでも、ちょこちょこ出会う“ご近所さん”のような存在だと、勝手に思っています。夫のスイセイさんと共に、たまに出会う素敵な近所のご夫婦ってかんじ。実際にはちょうどうちの母と同じ年なのだけど、年齢を感じさせない透明感のある、内省的で繊細な文章が好きです。加えて、繊細な感覚を持ったまま、毎日の料理というこの上なく実際的なことを仕事にしているという、バランスに憧れます。物語のある料理と、生活に根付いた感受性。
その高山さんが、なんと今神戸に住んでいるらしい!何気なく目にしたネット記事に驚きました。うわぁ、近くにいる。はじめて読んだのが「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」だったので、井の頭公園や吉祥寺の人という印象が強く残ってました。いかにも、中央線の人っていう印象です。(実際には大阪と神戸だったら都内の方が近いくらいですが、谷根千と吉祥寺の距離って妙に遠くないですか。たぶん心理的な距離だと思うんだけど。)
驚いたのではじめてホームページを訪問して、ほぼ毎日日記をつけていることを発見。なんだか、近所で会ったことしかなかった人の自宅にお邪魔して、玄関先に立った気持ちです。どうもこんにちは、ちょっとお邪魔します。全部読んでないけれど、夫との関係を見直したり、絵本を書くという目標を達成するためにひとり暮らしを始めたのだそうです。私は夫のスイセイさんも好きで、でもそれは全て高山さんの文章越しに見ているスイセイさんなので、いつも人の目を借りて横恋慕をしているような気分になります。広島弁がいいのよね。怖いっていう人もいるけれど、私は広島弁、やわらかくてのんびりしてて、ちょっと頑固っぽくて好きです。
憧れの近所のご夫婦に訪れた変化に、ちょっとはらはらしつつ、ひとりになりたいと思った高山さんの気持ちも分かるような気がします。私なんかはうっかりひとりになってしまったクチですが、知らない場所でひとりになると、自分の輪郭がはっきりする気がします。といっても、ここに存在している、という実感は薄れるのだけれど(たぶん相対的に確認できる他人がいないから)、自分の意識だけがクリアになって、空間全部を“自分”で満たせる感じ。ちょっとアブない感じもしますが、その感覚自体は悪くないんです。反対に、東京には個性を埋没させる圧力源があって、何をしてもどこかに繋がってひとつの仕組みのなかに埋め込まれてしまいそうな感覚になるときがあります。きっと街が持つパワーが強いんだろうな。
少々、話が飛躍しましたが…自分がファンの方が、同じような気持ちで近くに住んでいるのはうれしい限り。神戸にいる間にひとりぐらしの料理教室なんて開いてくれたら、ぜひとも行きたいなぁ。

ご参考:
ファンになったきっかけは下記の本。本を読むきっかけは、ハナレグミのアルバム。ハナレグミを聞くきっかけは、当時憧れの先輩、というつながりです。

帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。 (文春文庫)

帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。 (文春文庫)

帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。

帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。

フードアレルギー検査で、まさかの栄養不足が発覚。

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最近ようやく牛肉を買えるようになりました。ひとり暮らしには贅沢な気がして気が引ける…。

 

数えてみれば15年近く自炊をしています。もはや半生に迫る年数にぞっとしますがそれはそれとして、最近は自炊の習慣がついてきて1週間なんとか自前でやりくりしようとしているのは、周知のとおりです。

それなのに、それなのに…先日わたし、病院にて「貧血ぎみ。栄養失調だよ、難民の子と同じ。それに糖尿予備軍だね」と言い渡されました。貧血、難民、糖尿病とな…?言葉だけが巡って消化不良です。飽食の現代日本で、毎日ごはん作ってるのに、栄養が足りてない、とな…?

皮膚炎をきっかけに、フードアレルギー検査をしてみた

事の発端はアレルギー検査です。小さいころにアトピー体質だった私は、季節の変わり目や汗をかく季節になると衣類に触れる体の部分が痒くなって、また無精者なのでまめに薬も塗らず掻いてしまい、酷くなってイライラして病院に行って薬をもらい、塗ったら落ち着いて、落ち着いたら満足して完治させず、はい最初に戻ってやり直し、というのを何年も繰り返しておりました。書いてるだけでいかにもダメですね。で、時間の余裕がある昨今(暇なんて言わないで)、一回根本的に対応してやろうと思い立ち、血液を採取して食べ物アレルギーを検査したのです。
結果から言うと、アレルギーはほぼなし。アトピーが酷かったころにやってみたかったですね。強いて言えばということで、軽度のアレルゲンに指定されたのが「卵白」「ハウスダスト」「小麦」「アスペルギルス(こうじかび)」、「ビール酵母」でした。これはどういうことかと言うと、「卵や小麦製品の麺類は控えめに、味噌や酢などの発酵食品も控えめに、ビールも控えめに」「あ、チョコレートやコーヒーも取りすぎないように(アレルゲンと言うより刺激物という点から)」とのことでした。
うー、コーヒーとチョコをカンフル剤に仕事して、帰って簡単に用意できるオムレツやチーズクラッカーでビールを一杯、みたいなのがNGってことね…。アレルゲンといっても軽度なんですが、他の人のブログ記事など見ているとよく食べるものがアレルゲンに指定されやすい傾向があると書かれていたので、普段から上記シチュエーションを頻発していたのも原因かもしれません。だって美味しいし、用意しやすいのだもの。

血液検査で、食生活がばれた

で、アレルギー検査はまあよかったのですが、血液検査の結果が酷かった。ここで冒頭のセリフに戻ります。貧血・栄養失調・糖尿病予備軍。何かと言うと、炭水化物を取りすぎており、反対にたんぱく質がとっても不足していて、ビタミンもミネラルも鉄分も不足していていると。その結果、総コレステロール値は低い(たんぱく質不足)んだけど、中性脂肪は多かったり(炭水化物由来の脂肪…)、血糖値が低かったりする(糖質の取りすぎでインスリン過多、あと貧血も影響)わけです。血糖値に至っては、私が糖質を取りすぎるので、あらかじめ血糖値が上がるのを見越して下がってるみたいなことになってるようです。どうせホームラン来るから外野後ろに下がっとこう、みたいな状態です。前も、前も守ってくれよ。
しかし、この血液検査で食生活がばれるのってそうとう恥ずかしいですね。確かに私は炭水化物好きで、忙しくなるほど麺類やごはんにみそ汁みたいな食事に陥りがちです。昼ごはんと夜ご飯はしっかり食べていますが、朝ごはんを抜きがちなので結局二食になってしまって全体のカロリー不足は否めません。朝抜き、夜遅め帰宅で食間が開きすぎるのもよくないし、夕方には空腹を我慢しきれなくて甘いコーヒーやチョコをつまむのは日常茶飯事だし(いつも何か食べてるねって言われる。言い返せない)…必要なものが十分取れてなくて、代わりによくないものを詰め込んでるような生活ですね。先生に結果を言い渡されながら、走馬灯のように自身の食生活が蘇りました。そして、アレルギー科に行ったはずなのに「野菜から食べ始めて肉魚、ごはんは最後ね。食べきらないで2口残すこと。とにかくもっとまともな食事をするように。以上!」と食事のとり方を重々しく言い渡され、生徒指導室よろしく診療室を後にしたのでした。皮膚炎は薬のおかげで治ってきたのですが、なにか別の症状を(それも回復に非常に時間がかかる)を言い渡されたようなもやもや感…

自炊を見直す。とりあえず、たんぱく質

1週間の惣菜は、まとめて手作り☆わたしってば賢いわウフ☆みたいな気分で自炊を盛り上げて来ましたが、材料のやりくりに徹するあまり栄養不足、カロリー不足になっていたようです。これまでの献立1週間よさようなら。私は、私はたんぱく質を取ります…!その日は、「社会人の経済力をなめんなよ」とばかりにとりあえずステーキ肉を買って帰りました(冒頭の写真参照)。冷凍しておいた残りのラタトゥイユを温めて添えて、どうじゃーと言わんばかりに完食。美味しかったです。
そして、本屋で熱心に立ち読みをして「栄養学の本」と「食材の旬の本」と「野崎さんの料理のコツ本」を購入。課題解決を言い訳に本を買う、単なる調べもの好きの私です。この書籍への投資額のいくらかを、肉をかさ増しするかグレードアップする方に使わないのが栄養不足に至った一端であることは、わかっちゃいるけどやめられませんし、やめる気もございません。知らないジャンルの本は面白いのですもの。私はこの本を使ってまずは自分の献立を見直すことにしました。策に溺れないうちに、勉強の成果は近日公開。予定。

映画『ブルックリン』を見てきた

※ネタバレですので、よければ観た後にどうぞ。

 
チーズにもときめかない自分に活を入れようと、金曜夜のレイトショーで女の子の成長物語を見に行ってきました。
雑誌で見かけてとても気になっていた『ブルックリン』、淡々としているけれど引き込まれるという言葉につられて。あとは、ファッションが素敵だということだったので。
映画の内容は、仕事を求めてアイルランドからニューヨークのブルックリンに移り住んだ主人公の女性が、徐々に自分の人生を見つけていくという、書いてしまえばそれだけのお話です。なのですが、とても印象に残ってしまう不思議な映画です。
まずは、主演女優の演技勝ちだと思いました。見終わって、もっとずっと見てたくなるような、瑞々しくて、丁寧なキャラクターのエイリシュ。おぼこい田舎娘が洗練された都会の女性へと変身する様が、笑い方から歩き方まで表現されていてほれぼれしました。その隅々まで行き届いた演技と、着実に人生を積み上げる主人公のキャラクターがうまく重なって、一種のカタルシスをもたらします。彼女が泣けばつられて泣くし、泣きたい気分の時は、もっと泣ける。心地よい同調圧力です。
周囲の登場人物もよかったです。取り立てて立派ではないけれど、それぞれの妙な癖や弱味を愛せる人たち。同じ寮に住む曲者のお姉さん二人だって、イタリア料理を食べたことがない主人公にスパゲティの食べ方を教えてくれたりします。君らのそういうとこ、私嫌いじゃないわぁ。そういって肩を叩きたくなるような面々です。ちょっといい人が多過ぎて、ファンタジーな側面はあると思いましたが…またそれが映画全体から感じる心地よさにつながるのでしょう。
そして、故郷を離れて別の街で暮らすということ。何を差し置いてもこのシチュエーションに弱い私は、ホームシックに共感し、初めての恋愛に共感し、仕事の喜怒哀楽に共感して、うざいくらい主人公の身になっていました。アイルランドもニューヨークも知らず、1950年代も知らない私にとっては、主人公の一挙一動が普遍的に感じられるのです。手探りの状態から、何かをつかんでどんどん生活がいい方向に向かっていく、その感覚を自分の力で得たという自信。誰も知らない街を自分の歩幅で歩く喜び。一方で、帰郷して感じる親しみと疎外感。今ならもっと上手くやっていけると思う一方で、だから私はこの街を出たんだ、という納得感も強まります。不幸な姉の死、母の想いを犠牲にしてでも、自ら得た生活に戻りたい。だから、二度目のさよならは泣いてはいけない。自分で選んだ別れだからです。甲板の上で目を見開いて、遠くなる家族や友人、昔の自分、あったかもしれない暮らし、家や街や島を、目に焼き付けます。そのきりっとした表情が冒頭とは比べ物にならない自信に溢れた美しい表情をしているのです。無から有、死と再生。暮らしを一から作り上げることが、こんなにも人生を象徴しているんだなぁと、気づかされました。
そして、ここまで自分に引き寄せて解釈してしまうと、もう何に泣いてるのだか分からない。帰りの電車でも思い出し泣きしてしまって、隣のおじさんがちょっとびびってました。ごめんなさい、おじさん。私彼氏にふられたわけでも、上司に怒られたわけでも、仕事に疲れたわけでもないの。ただ女の子の成長物語に参ってしまっただけなんです。
 
という訳で、一人暮らしの社会人女性にはぜひ観てほしい映画でした。結局、主人公はちゃっかり恋も仕事も手に入れちゃうんだけどね。うらやましいことに。

チーズフォンデュでぴょんぴょんできない

二日酔い、風邪のぶり返し、暑さにかまけて更新をサボってました。料理もサボって、勉強もサボって、ちょっとスマホでゲームして、気の向くままに眠っておりました。梅雨のせいなのかな、毎年夏の初めは体がついていかなくてだるくないですか。

突然ですが、女の人が年齢とともに失うものって何でしょうか。肌のハリや艶。ハイ正解。それはもちろん間違いないんですが、こないだわたし、若者たちに誘ってもらった飲み会で自らが失ったものを目の前にしました。私以外20代半ばの平成キッズですよ。好きなアーティスト誰ですかって聞かれて、恐る恐る椎名林檎のファンなのよねって言ったら、ああ知ってますよと言われてちょっとほっとしました。ネット時代の恩恵、ロングテールバリューの林檎ちゃんありがとう。しかしほっとした直後に、君らの「知ってる」とは「知ってる」の年季が違うんだけどさ、と思って「デビューの時から好きなんだけどね」って言ってしまう謎の対抗心は何なのでしょうか。まあそれはよろしい。若い人が好きそうな(ああ何だろう、この言葉を書く時の自分が若者から強烈に離れていく感じ)お洒落なフルーツビールとか、カルパッチョ的なものとか、なんかアボカド入ってる奴とかを食べつつ、チーズフォンデュも頼もうということになったんですね。そしたら隣にいた後輩の女の子が喜んで、「わーいチーズフォンデュ」って言ってぴょんぴょん跳ねたんです。あっこれだ。これ今わたし、持ってないやつだ、と思いました。チーズフォンデュを喜ぶ気持ちと、椅子に座ってぴょんぴょん跳ねる可愛げ。もうできない。たぶんどこかで落としてきました。チーズフォンデュ、おーいいねぇと言いながらちょっと拍手の真似ごとをするくらいのテンションしか持ち合わせておりません。これかぁ。こういうとこかぁ。可愛いもんなぁ、ぴょんぴょんするの。年齢を重ねるということに、無性に納得しました。それがいいとか、悪いとかではなくて。

たまーに懐メロが頭を回って無性に聞きたくなる時があるんですが、近ごろ回っていたglobeの「feel like dance」を超久しぶりに聞いてみたら…当時とは比べものにならないくらい染みますね。「めくるーめくーおもーいは、なさけないほどこの頃味わえないよ」っていうところに、思わずチーズフォンデュを重ねてしまいました。いいの、この年齢にはこの年齢なりのめくるめき(名詞にしたら変)があるはずなの。チーズの溶けた奴には負けない、しっとりとした、大人の何某が。しかし、どこにあるんだろう...早めに探さないと、また何かを無くしてしまいそうだわ。