大河ドラマが来週で最終回、だと…

再来週までやってくれているものだと信じておりました、なんとなく。無意識の希望的観測で。大掃除して、それと平行してビーフシチューをことこと煮込んで、赤ワインと一緒にドラマの最終回を見て、ああ今年も暮れるわねぇと、そんなクリスマスになるはずだったのに。。!もう終わっちゃうの、という悲しみと、じゃあ私クリスマス何すりゃいいのという(逆ギレによる)怒りがないまぜになって、要は困ってます。うん、本当に何すればいいんだろう。

たとえば、映画や芝居や漫画はある意味今を忘れるために存在するのであって、作り手には悪いけれども映画をはしごするか、DVDをまとめ借りするか、いっそ落語でも見に行けばやりすごせそうな気が。さすがに漫喫はやめておこうかな。なんだか心が荒れそうです。あ、あとはジムだな。筋トレしよう。なんか自分がというより場が荒んでそうだけど…そんなこと気にしてたら筋肉はつかんけぇのう!

まぁ、もうあんまり気にならないんですけどね、クリスマス。特に平日なら。嫌なのはどこに行ってもクリスマス気分が盛り上がってしまうことで、それ自体は楽しくて結構好きなのに、発散できなくてもやもやするという。もやもやイベントですね。このもやもや、大河あたりで発散するのがちょうどよかったのになぁ。

以上、なんの発展性もオチもありませんが、とにかく来週で最終回ですよ。今週はきりちゃんが報われて?よかったですね。ちゅーしながら文句言う大河のヒロインとはだいぶ珍妙な。笑いました。それで、10年くらい前が一番綺麗だったのにっていう台詞が、ちょっと沁みました。ぎりぎりアウト、気味のセーフかなぁ。

で、結局何が贅沢なんだっけ。

突然ですが、家の洗濯機に乾燥機ついてますか?僭越ながら、我が家にはついています。太陽光にさらせば自然に乾くものを、何も電力を使って日陰で乾かさなくても…という思いが捨てきれず、僭越すぎるということで滅多に使いません。これはこれでもったいない。で、タオルが溜まった週末、久々に稼働させてみたんですが…仕上がったタオルのふやけていること。へにょっへにょじゃないですか。あのお日様にさらされてぱりっとした姿はどこへいった、これだから最近の若者はぬるま湯で困る、とおっさんのように渇を入れたくなりました。ぱりぱりとへにょへにょ、タオルとしては一体どちらが正しい乾き方なんでしょうか。私はぱりっと派でいたいのですが、最近の洗濯事情ではデフォルト乾燥機とも聞きますし。

 

髪を切ってきました。少しウルフっぽいレイヤーを入れたボブにしたら、予想よりもほんの少し男っぽく仕上がってしまい、宝塚の男役に見えて仕方がありません。ガーリーなボブに頼りきりで、もともと男顔なのを忘れておりました。明るい茶髪か金髪にしたらまさしくって感じだなぁ。私らしいけど、残念ながら女らしくはない。ところで、私は髪を切った日は頭を洗わない主義です。昼間さんざんシャンプーされたからきっと清潔だし、サロンのいい薬剤の効能(そんなのあるのか知らないけど)がなくなるのがもったいない気がして。みなさんはどうですか。

どうも私にはこの日常やるべきことをやらないのを「贅沢」と見なす癖があり、週末の夜ご飯のあと、食器を洗わずにお風呂に入って寝てしまったりすると、ああ週末!と妙な解放感を得ます。あと、化粧水の後に塗る乳液やら何やらを塗らないで省略するのも「贅沢」。週末なんだからむしろスペシャルケアをしたらいいのに、作業を省くのを贅沢と見なすなんて、我ながらよほどの面倒くさがりなんでしょうね。

映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を見てきた

ハンカチを忘れたことを少し気にかけつつ、レイトショーで見てきました。だって、泣けるとかラストが衝撃とか煽っているし、大泣きしたら帰りの顔がみっともなくなるし。そもそも、映画でよく見るこういう売り文句はあまり好きじゃないんですよね。泣けるって言われたら騙されるもんかと思うし、ラストが意外とか言われたら最初から推測してしまうし、ひねくれものとしては素直に楽しめなくなるじゃないですか。でもまぁ、そういうのだけじゃない、何だかよさそうな雰囲気と、間違い無さそうな配役の布陣に期待して、梅田ブルク7へ。

結論、確かにハンカチ必須なくらい泣けるし、ラストも衝撃っちゃあ衝撃ですが、そんな前評判を入れなくても十分いい映画でした。宮沢りえの説得力が素晴らしく、杉咲花の演技がとても魅力的で、私はラストよりも途中の方が感動しました。

※以下、ネタバレですよ※

まず、宮沢りえがとってもいい。それはなんでだろうと考えると、役柄に関係なく役者本人が持っている存在の確からしさ、その人が振る舞うことの説得力の高さなんじゃないかと思いました。だって、余命宣告された母親がばらばらの家族をつないでいくっていうストーリーですよ。ちょっと、ベタというかお涙頂戴というか。なのに、もし余命2ヶ月を宣告されたとして、宮沢りえなら確かにあんな風に死んでいくんじゃないかと思わせてくれる、その説得力がすごいなぁと。だから、この映画はまず母親役を宮沢りえがやったことが、一番の勝因なんじゃないかと思います。強くて愛情深い、完成された母親像なのですが、時折湯から吹き出すあぶくのように怒りが沸き上がります。その感情のバランスの危うさや、怒りの強さが鮮やかな赤の印象を残して、ああ、このお母ちゃんは特別仕立てだなぁと、思わせてくれます。「紙の月」を見たときにも思ったのですが、宮沢りえは美人なのに、年齢を重ねて‘よれた’雰囲気も持っていて、平凡な主婦や下町のお母ちゃんも意外に馴染みます。あんな風に年をとりたいなぁ、と思う人のひとりです。

そして、もうひとりの主人公といってもいいのが、娘役の杉咲花。学校での内気ないじめられっこの姿と、家でクックドゥばりにごはんをパクリと食べる姿のギャップに私は妙に生命力を感じてしまいました。心は悩んでも、体は正直な思春期の女の子です。そして、死んでゆく母と生き生きしていく娘、完全な母と不完全な娘という対比がとてもよかった。ゆっくり両者の役割が入れ替わっていく過程が、物語の核だと思いました。嗚咽というよりもっと不細工に、涙をぐふぐふ堪えながら言う台詞の数々にだいぶ泣かされましたねぇ。冒頭の「数えたら11色あった」っていう台詞も印象的ですが、何も知らないときに言った「お母ちゃんの遺伝子ちょっとはあった」っていう台詞、あとからの方がじんわり来ますね。

最後に肝心のラストですが、最初に言った通り前評判を聞いてしまっていたので、何となく推測がついてしまい、、衝撃には至らず。まぁ、湯を沸かすほどの熱い愛、だもんなぁ。前評判入れないでほしかったなぁ。でも、つい先日祖父を見送った立場から言わせていただくと、人の死に様というのはあんなに綺麗なものではないです。姿形はそのままでも、死んでいるだけでその人らしさがかなりの程度失われる気がします。じゃあ湯を沸かそうかって、簡単には思わないくらい‘その人じゃない’はずなんです。綺麗なお母ちゃんの遺体と祖父の遺体を思いだして、美しさは姿や形ではなく、生きているっていうこと自体によるんだなぁと、しみじみ思いました。でも、それでも、沸いたお湯と煙突からのぼる赤い煙を、愛と言わずしてなんと言いましょう。愛とは熱量である、だから、湯を沸かすのはひとつの愛情表現の行為であると、監督は言いたいのだし銭湯好きの私も言いたいのであります。。!

 

ともあれ、スクリーン上の人の死に涙を流せるのも、私が生きている証拠です。あぁ面白かった、予告通りガン泣きですがなと心でぼやきつつ、涙の筋が流れる顔もそのままに(暗いしまぁいいかと思って)自転車をこいで帰る金曜日の夜中でした。

昭和気分と巻き髪欲求

テレビをつけたらNHK中島みゆきが出ていたので、漫然と見ていたら急に昭和の漫画が読みたくなり、萩尾望都の「11人いる!」を読んだらとても欲求が満たされました。漫画熟読分だけ寝るのが遅れたベッド上より、今まさに眠らんとするところです。

なぜなのか。まずはみゆきさんの巻き毛と喋りのトーンが、なんか昭和の漫画っぽいっていうか漫画家っぽいっていうか。還暦を超えてなお赤い巻き毛(いやむしろ還暦超えたから赤いのか?)は、歌姫にしか許されません。ちなみに往年のみゆきファンである私は、自分の物心がついていない時代の曲を愛聴しており、カラオケの十八番は「悪女」という人間です。「タクシードライバー」も泣けますよね。マツコがいいって言ってたから聞いたら、よすぎてiTunesでダウンロードしてしまった。話が逸れました。て、そのビジュアルに加えてあのちょっとハイトーンでマイペースな喋りのトーンがさらに昭和感を盛り上げている気がします。字起こしをするなら明朝じゃなくて手書きの丸文字(‘お’の点がカーブに食い込んでるやつ)にして欲しい。

そんなディープな世界観と、濃ーい存在感が昭和の少女漫画にマッチ。そして、11人いる!には主要キャラとして金髪巻き髪の美少年が出てきます。フロルって言って、大層かわいいんです。おそらく私はそのキラキラした巻き髪に託して、自分のなかにむらむらと沸き上がった昭和欲求を消化したのでした。

とりあえず、急に自分の髪を巻くような暴挙に出なくてよかったです(似合わないから)。おやすみなさい。

私は歌詞で歌を聞く人間です。

少し前、もう何年ぶりかにCDショップに行って宇多田ヒカルの新しいアルバムを買ってきました。アルバムを買うっていう行為を久々にしてみたくって。あと、きっと実家の家族が聞きたがるだろうと思って。

感想としては、母をテーマにしているという前情報のせいか、「何かを表現している曲」と「気持ちを整理している曲」が混ざっているように思いました。アーティストも人なので、歌わずにいられない気持ちと、人を楽しませようと工夫する気持ちが入り乱れているのかなぁと。

そんな印象を主に歌詞から感じたんですが、NHKの番組で宇多田ヒカル自身が歌詞は音楽ができてから考えるいちばんしんどい作業といっていました。あんなに凝った歌詞を作るのに、とても意外。音楽に疎い私はもともと歌詞を読むのが好きなんですが、きっと多くのアーティストが音から入るのだろうと思うと、歌詞重視派は邪道なリスナーかもしれません。歌詞の解釈だって、音優先のなかでどれほどのことが分かるんだろう。

そんな答えのないことをつらつら考えつつ、あくまで自分勝手な解釈をするなら、私は感情と表現のバランスが一番いい気がする、冒頭の「道」が一番好きです。歌わなきゃ、と歌いたい、の間をいってる感じがする。

来てけつかるべき新世界は、結構来てけつかるべきだった件

ヨーロッパ企画の「来てけつかるべき新世界」の大阪公演最終日に駆け込んできました。ずいぶん前に公演のお知らせハガキは届いていたものの、旅行の準備やら旅行やらで今回は無理かもー、でも行きたいかもー、つーかそんなに遊びほうけたらだめかもー、と思い自粛しようとしていたのですが、ネットで感想検索したら…なんかみんなが面白かったって言ってる…!結局、集合知に負けて?当日券をぽちっとして仕事を置いて駆けつけました。仕事場からABCホールの近いこと。ありがとう小さい街大阪。

以下、感想メモです。ネタバレです。でもあと半月くらいで終演ですね。

感想1 前回よりもストーリー性があって私は好き

お話は、少し未来の新世界(大阪の下町ね)を舞台に、ドローンやロボットやAIが当たり前になりつつある中、それゆえの様々な事件が起きるというものです。新世界・ミーツ・ドローン。未知との遭遇を人(大体おっさん)がどう反発し、受け入れていくのかを基本コメディでお届けしています。何かの記事で、作・演出の上田さんが大テーマ(今回の場合は新世界にドローンがやってきたらどうなるか)が決まったらあとはエチュードを重ねて脚本をつくる、的なことを言っていた気がするんですが、1話から5話まで展開するストーリーは個別エピソードの積み重ねで出来ており、群像劇の様相もあります。とは言え、前回の「惑星ブンボーグ」に比べると迫りくる強大な存在が話をだんだん煮詰めていくので、一連のストーリーとしても楽しめました。強大な存在っていうのが、まあ、サイバーゼリアっていうフランチャイズレストランなんだけれども(某激安イタリアンをモデルに、経営者がAIになることで超低価格&超フランチャイズ化されていくという。なんかありそうで怖いけど笑える)。

感想2 新世界ってひとつのVR

もうひとつ、舞台設定としてアナログとハイテクのコントラストが肝だと思うのですが、新世界という場所が本当にあんなところなのかは別として、一つのステレオタイプとして完成していることはすごいなぁ、と思ったのでした。渋谷とか、新宿とか言われるよりずっと想像しやすい。浅草なんかは近いでしょうが、小粋なところがいじりにくいですよね。ほんとにあんなおっさんが昼間から将棋してたり、阪神のユニフォーム着てたり、飛田に通ってたり、串揚げ二度付けしてたりするのかは分かりませんが、そう言われれば新世界、という記号性の強さは、実に舞台向け。見れば行った気持ちになる、一種のバーチャル・リアリティかもしれません。そして見る側が共通認識を持ちやすいことで、ハイテクネタが冴えます。串揚げロボットアームであげるんかーい、的なつっこみが容易。ちょっぴり混じる演者さんたちの標準語は、ご愛敬です。大阪で大阪弁の芝居するの、緊張して嫌でしょうね。

感想3 新世界が、もう来てけつかってる!

最後にもうひとつ。お芝居の中ではたくさんの「近未来あるある」(正しくは「近未来ありそうありそう」だな!)が盛り込まれており、そのありそうでなさそうな感じが非常に面白いんですが、一部はもう近未来の話ではないかもしれません。例えば将棋ソフトに人が勝てなくなり、今ではインカムに将棋ソフトを内臓させて、ソフトを使って勝負をするのが当たり前になっている、という話。観にいった前日に棋士が将棋ソフトの不正使用の疑惑で出場停止になったというニュースが流れており、ぎくりとしたのでした。また、舞台の串揚げ屋の食べログ評価が、第3者の不正によって3にまで下げられたというエピソード。現実では、少し前に社員による不正操作疑惑で炎上騒動が起きたばかりです。想像できる未来は実現できる、みたいな格言がありますが、想像できてしまったら、あとは想像できないほど早く実現してしまう、最近の技術革新にはそういうスピード感がある気がします。台本を作成したのは少し前としても、その時ネタとして書いたことが、ある意味現実になってますもんね。近未来あるある、すーごい面白くて笑いまくったけど、笑ってる場合じゃないのかも。

 

以上、とっても面白かったので、時間があればもう1回見に行きたかったです。次回作も楽しみ。

ブログ再開します

FP試験が終わって早速旅行したりしておりました。ブログをほったらかしにしていたのに毎日結構アクセスがあったんですが、どうやら台湾旅行の記事が稼いでるのかなぁ。謎。

ブログが自走してくれている間、試験勉強があまりにも間に合わず自習室を2週間ほど契約して通いつめてみたり、その結果腱鞘炎かと思うほど右手にダメージを受けたり(書いて覚える、これアナログ世代の悲しき性なり)、試験後速攻でジムトレーニングを始めてひよわな筋肉が悲鳴をあげたり(鎖骨の下がずっと痛い。こんなところに筋肉があったのか)、食生活を見直そうとしたらジムの推奨する食事がさらに厳しくてちょっと泣きそうになったり(毎日晩ごはん野菜だけて。働いて帰って来て野菜だけて。)していました。なんかブログのネタは稼いだ気がする。試験に受かった自信はないけど。

という訳で今週からゆるゆるまた書きます。自走してたってことはさほど投稿頻度に関係ないということなのですが(私の場合記事が検索に引っかかるのが大事レベル、つまり質が大事ってことかと)、まぁ、書きたいので書きます。