読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ドラマ「タラレバ娘」第一話を見た

漫画のドラマ化に過剰な期待をしないように、そっと見ました、第一話。もはやアラウンドでもないサーティの私の心の支えのような、戒めのようなポジションを築きつつある「タラレバ娘」です。このマンガ、読んでもダメージ食らうのに読んじゃう。巻末の相談コーナーなんて特にひどい。人にこれほどダメージを与えておいて、最後はフィクションらしく安易なハッピーエンドなんかにされたら…恨みます。こうなったからには、死なばもろともやで、あんた…!(この辺りのマインドセットが我ながら東村作品向きと思う)

 

で、ドラマでした。納得いかないことがあるんですよ。まずは、主人公が30歳。オリンピックの年には、33歳。さすがにオリンピックの頃までには結婚してるわよ…さもなくば、独りオリンピック…!と青ざめるシーンが何度か出てくるんですけど、いやもう私33歳だから。この漫画のいいところは、スタートが33歳ってとこだから!と現場からお伝えしたい。30歳は20代の延長線上、焦りはあるけどまだ綺麗。20代の記憶を引きずって生きていける歳です(これが後々の手遅れを招くのですが…あー、あのとき気づいてい“たら”!)。

絶対、33歳からの3年間のが重々しいはず。これからだから知らんけどたぶんそのはず。ドラマの主人公を未来の自分が今の自分に頑張れっていうような気分で見てしまって、すでにちょっと悲しい。私はこれをポストタラレバ娘の立場で見なきゃいけないのかしら。

 

もひとつ。人生の主人公は自分だと思ってた、つまりいつかはいい人が現れてハッピーエンドになるっていう思い込みが崩されるのも大事な要素なんですけど、吉高由里子、かわえぇ…!主役やあんた、間違いない。榮倉奈々、モテそう…!まぁ、テレビで可愛くない人見るのもつまんないですけど…なんか、みんなかわいいなぁって、思って…うう。しかし鈴木亮平をキャスティングすると、花子とアン感が強烈で、ついでに坂口健太郎登場でとと姉ちゃんも混じってしまい、ややこしい。“ブレイクしそうな芸能人を押さえるには朝ドラと大河で大体オッケー”説、私は信じてます。単に色々見るの面倒くさいだけですが。

という訳でちょっぴり納得いかないドラマ化ですが、坂口さん好きなので時間が合えばまた見ようかな。

 

さて、こんなことをブログで書かないといけないくらい、今や私の周りには未婚が減ってしまいました。もう第4出動はできません。いたら絶対してるなぁ怖いなぁ。独りオリンピックも、半ば覚悟しております。しかしながら、いろんな意味でひとりぼっちの境遇をあえて前向きに捉え(婚活に専念できる等)、フィクションの力を借りてでも、不肖33歳、そろそろバッターボックスに立たねばなりません。

※ドラマ見てたら、例えじゃなく普通にバッティングセンター行きたくなりました。あれ楽しそう!

隣の恋バナ

カフェなんかにひとりで入りますとね、隣の会話を聞くのが楽しみなんですね。我ながらよくない趣味だと思いながらも、気になるとますますそこの会話しか聞こえなくなりませんか(これをカクテルパーティ効果といいます)。

で、今日の会話はこんな感じ。カッコ内は私の心のつっこみです。

 

「私別に、ヤノさんと付き合いたいと思わないんだ。他に遊んでる人もいるし」

「そうなの?じゃあそっちと付き合えばいいじゃん」

「でもさー、他の人だとちょっと違うんだよね。やっぱヤノさんの方がしっくり来るって言うか」

「ふーん。彼女と別れてほしいと思わないの」

(あっヤノさん彼女いるのね…)

「思わないよ。そんなの彼女さんに悪いじゃん。どっちもお互いのこと好きみたいだし」

「ええー、大人ー。私だったら我慢できないー」

(ほんと、おとなー)

「彼女さんのこと傷つけるのは、ちょっとあたしは違うと思うんだよね」

「彼女さんは何してるの?どんな人?」

「なんかねー、すごい素朴な感じ。学生時代の知り合いで、四国(ヤノさんの地元らしい)で働いてるんだって」

「あ、遠距離なんだ」

(あー、遠恋。波乱の予感)

「うん、遠距離であんまり会えないから、ほぼ毎週私と遊んでるみたい」

(えっ、ヤノさん…?)

「なんかされたりしないの?」

「えー、真面目だからなー、一緒に寝たりしてるけど、特になにも」

「それ、友達なの…?」

「うーん、なんかね、全然ときめかないっていうか…いるのが自然な感じの人で。好きって言われたこともあるけど」

「??それ告白?」

「いや、友達としての好きって感じ。ほら私へこんでたときに慰めてくれて。そのときに色々構ってくれたから、彼女さんとちょっと揉めたみたいだよ。あ、私だってことは言ってないみたいだけど」

「じゃあさ、ヤノさんに他に好きな人できたら焦らない?」

「いや全然」

「でもさー、それ、友達じゃないでしょ」

「そっかなぁ。確かに周りの人は私のことヤノさんの彼女と勘違いしてて、ヤノさんの予定とか聞かれるんだよね」

「……」

(……)

「でもさー、私はやっぱり彼女さんのこと傷つけたくないし、ヤノさんが好きだから、ヤノさんには幸せになってほしいし…」

 

これは…好きな人の幸せを願って身を引く大人の女を装った、事実上の勝利宣言と見なしました。私あなたのこといいなと思ってるけど、他に誰かいるなら構わないわよ、でもほら、あなた気づいたら私と一緒にいるけどね?どうするの?っていう。最初は若人よ頑張れと思って聞いてましたが、途中から遠距離の彼女に絶賛同情。残念だけど、実質乗り換えられてますよお嬢さん。しかしヤノさんもそのどっちつかずはどうかと思うよ。全く知らんけど。

以上、現場よりお伝えしました。

大河ドラマが来週で最終回、だと…

再来週までやってくれているものだと信じておりました、なんとなく。無意識の希望的観測で。大掃除して、それと平行してビーフシチューをことこと煮込んで、赤ワインと一緒にドラマの最終回を見て、ああ今年も暮れるわねぇと、そんなクリスマスになるはずだったのに。。!もう終わっちゃうの、という悲しみと、じゃあ私クリスマス何すりゃいいのという(逆ギレによる)怒りがないまぜになって、要は困ってます。うん、本当に何すればいいんだろう。

たとえば、映画や芝居や漫画はある意味今を忘れるために存在するのであって、作り手には悪いけれども映画をはしごするか、DVDをまとめ借りするか、いっそ落語でも見に行けばやりすごせそうな気が。さすがに漫喫はやめておこうかな。なんだか心が荒れそうです。あ、あとはジムだな。筋トレしよう。なんか自分がというより場が荒んでそうだけど…そんなこと気にしてたら筋肉はつかんけぇのう!

まぁ、もうあんまり気にならないんですけどね、クリスマス。特に平日なら。嫌なのはどこに行ってもクリスマス気分が盛り上がってしまうことで、それ自体は楽しくて結構好きなのに、発散できなくてもやもやするという。もやもやイベントですね。このもやもや、大河あたりで発散するのがちょうどよかったのになぁ。

以上、なんの発展性もオチもありませんが、とにかく来週で最終回ですよ。今週はきりちゃんが報われて?よかったですね。ちゅーしながら文句言う大河のヒロインとはだいぶ珍妙な。笑いました。それで、10年くらい前が一番綺麗だったのにっていう台詞が、ちょっと沁みました。ぎりぎりアウト、気味のセーフかなぁ。

で、結局何が贅沢なんだっけ。

突然ですが、家の洗濯機に乾燥機ついてますか?僭越ながら、我が家にはついています。太陽光にさらせば自然に乾くものを、何も電力を使って日陰で乾かさなくても…という思いが捨てきれず、僭越すぎるということで滅多に使いません。これはこれでもったいない。で、タオルが溜まった週末、久々に稼働させてみたんですが…仕上がったタオルのふやけていること。へにょっへにょじゃないですか。あのお日様にさらされてぱりっとした姿はどこへいった、これだから最近の若者はぬるま湯で困る、とおっさんのように渇を入れたくなりました。ぱりぱりとへにょへにょ、タオルとしては一体どちらが正しい乾き方なんでしょうか。私はぱりっと派でいたいのですが、最近の洗濯事情ではデフォルト乾燥機とも聞きますし。

 

髪を切ってきました。少しウルフっぽいレイヤーを入れたボブにしたら、予想よりもほんの少し男っぽく仕上がってしまい、宝塚の男役に見えて仕方がありません。ガーリーなボブに頼りきりで、もともと男顔なのを忘れておりました。明るい茶髪か金髪にしたらまさしくって感じだなぁ。私らしいけど、残念ながら女らしくはない。ところで、私は髪を切った日は頭を洗わない主義です。昼間さんざんシャンプーされたからきっと清潔だし、サロンのいい薬剤の効能(そんなのあるのか知らないけど)がなくなるのがもったいない気がして。みなさんはどうですか。

どうも私にはこの日常やるべきことをやらないのを「贅沢」と見なす癖があり、週末の夜ご飯のあと、食器を洗わずにお風呂に入って寝てしまったりすると、ああ週末!と妙な解放感を得ます。あと、化粧水の後に塗る乳液やら何やらを塗らないで省略するのも「贅沢」。週末なんだからむしろスペシャルケアをしたらいいのに、作業を省くのを贅沢と見なすなんて、我ながらよほどの面倒くさがりなんでしょうね。

映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を見てきた

ハンカチを忘れたことを少し気にかけつつ、レイトショーで見てきました。だって、泣けるとかラストが衝撃とか煽っているし、大泣きしたら帰りの顔がみっともなくなるし。そもそも、映画でよく見るこういう売り文句はあまり好きじゃないんですよね。泣けるって言われたら騙されるもんかと思うし、ラストが意外とか言われたら最初から推測してしまうし、ひねくれものとしては素直に楽しめなくなるじゃないですか。でもまぁ、そういうのだけじゃない、何だかよさそうな雰囲気と、間違い無さそうな配役の布陣に期待して、梅田ブルク7へ。

結論、確かにハンカチ必須なくらい泣けるし、ラストも衝撃っちゃあ衝撃ですが、そんな前評判を入れなくても十分いい映画でした。宮沢りえの説得力が素晴らしく、杉咲花の演技がとても魅力的で、私はラストよりも途中の方が感動しました。

※以下、ネタバレですよ※

まず、宮沢りえがとってもいい。それはなんでだろうと考えると、役柄に関係なく役者本人が持っている存在の確からしさ、その人が振る舞うことの説得力の高さなんじゃないかと思いました。だって、余命宣告された母親がばらばらの家族をつないでいくっていうストーリーですよ。ちょっと、ベタというかお涙頂戴というか。なのに、もし余命2ヶ月を宣告されたとして、宮沢りえなら確かにあんな風に死んでいくんじゃないかと思わせてくれる、その説得力がすごいなぁと。だから、この映画はまず母親役を宮沢りえがやったことが、一番の勝因なんじゃないかと思います。強くて愛情深い、完成された母親像なのですが、時折湯から吹き出すあぶくのように怒りが沸き上がります。その感情のバランスの危うさや、怒りの強さが鮮やかな赤の印象を残して、ああ、このお母ちゃんは特別仕立てだなぁと、思わせてくれます。「紙の月」を見たときにも思ったのですが、宮沢りえは美人なのに、年齢を重ねて‘よれた’雰囲気も持っていて、平凡な主婦や下町のお母ちゃんも意外に馴染みます。あんな風に年をとりたいなぁ、と思う人のひとりです。

そして、もうひとりの主人公といってもいいのが、娘役の杉咲花。学校での内気ないじめられっこの姿と、家でクックドゥばりにごはんをパクリと食べる姿のギャップに私は妙に生命力を感じてしまいました。心は悩んでも、体は正直な思春期の女の子です。そして、死んでゆく母と生き生きしていく娘、完全な母と不完全な娘という対比がとてもよかった。ゆっくり両者の役割が入れ替わっていく過程が、物語の核だと思いました。嗚咽というよりもっと不細工に、涙をぐふぐふ堪えながら言う台詞の数々にだいぶ泣かされましたねぇ。冒頭の「数えたら11色あった」っていう台詞も印象的ですが、何も知らないときに言った「お母ちゃんの遺伝子ちょっとはあった」っていう台詞、あとからの方がじんわり来ますね。

最後に肝心のラストですが、最初に言った通り前評判を聞いてしまっていたので、何となく推測がついてしまい、、衝撃には至らず。まぁ、湯を沸かすほどの熱い愛、だもんなぁ。前評判入れないでほしかったなぁ。でも、つい先日祖父を見送った立場から言わせていただくと、人の死に様というのはあんなに綺麗なものではないです。姿形はそのままでも、死んでいるだけでその人らしさがかなりの程度失われる気がします。じゃあ湯を沸かそうかって、簡単には思わないくらい‘その人じゃない’はずなんです。綺麗なお母ちゃんの遺体と祖父の遺体を思いだして、美しさは姿や形ではなく、生きているっていうこと自体によるんだなぁと、しみじみ思いました。でも、それでも、沸いたお湯と煙突からのぼる赤い煙を、愛と言わずしてなんと言いましょう。愛とは熱量である、だから、湯を沸かすのはひとつの愛情表現の行為であると、監督は言いたいのだし銭湯好きの私も言いたいのであります。。!

 

ともあれ、スクリーン上の人の死に涙を流せるのも、私が生きている証拠です。あぁ面白かった、予告通りガン泣きですがなと心でぼやきつつ、涙の筋が流れる顔もそのままに(暗いしまぁいいかと思って)自転車をこいで帰る金曜日の夜中でした。

昭和気分と巻き髪欲求

テレビをつけたらNHK中島みゆきが出ていたので、漫然と見ていたら急に昭和の漫画が読みたくなり、萩尾望都の「11人いる!」を読んだらとても欲求が満たされました。漫画熟読分だけ寝るのが遅れたベッド上より、今まさに眠らんとするところです。

なぜなのか。まずはみゆきさんの巻き毛と喋りのトーンが、なんか昭和の漫画っぽいっていうか漫画家っぽいっていうか。還暦を超えてなお赤い巻き毛(いやむしろ還暦超えたから赤いのか?)は、歌姫にしか許されません。ちなみに往年のみゆきファンである私は、自分の物心がついていない時代の曲を愛聴しており、カラオケの十八番は「悪女」という人間です。「タクシードライバー」も泣けますよね。マツコがいいって言ってたから聞いたら、よすぎてiTunesでダウンロードしてしまった。話が逸れました。て、そのビジュアルに加えてあのちょっとハイトーンでマイペースな喋りのトーンがさらに昭和感を盛り上げている気がします。字起こしをするなら明朝じゃなくて手書きの丸文字(‘お’の点がカーブに食い込んでるやつ)にして欲しい。

そんなディープな世界観と、濃ーい存在感が昭和の少女漫画にマッチ。そして、11人いる!には主要キャラとして金髪巻き髪の美少年が出てきます。フロルって言って、大層かわいいんです。おそらく私はそのキラキラした巻き髪に託して、自分のなかにむらむらと沸き上がった昭和欲求を消化したのでした。

とりあえず、急に自分の髪を巻くような暴挙に出なくてよかったです(似合わないから)。おやすみなさい。

私は歌詞で歌を聞く人間です。

少し前、もう何年ぶりかにCDショップに行って宇多田ヒカルの新しいアルバムを買ってきました。アルバムを買うっていう行為を久々にしてみたくって。あと、きっと実家の家族が聞きたがるだろうと思って。

感想としては、母をテーマにしているという前情報のせいか、「何かを表現している曲」と「気持ちを整理している曲」が混ざっているように思いました。アーティストも人なので、歌わずにいられない気持ちと、人を楽しませようと工夫する気持ちが入り乱れているのかなぁと。

そんな印象を主に歌詞から感じたんですが、NHKの番組で宇多田ヒカル自身が歌詞は音楽ができてから考えるいちばんしんどい作業といっていました。あんなに凝った歌詞を作るのに、とても意外。音楽に疎い私はもともと歌詞を読むのが好きなんですが、きっと多くのアーティストが音から入るのだろうと思うと、歌詞重視派は邪道なリスナーかもしれません。歌詞の解釈だって、音優先のなかでどれほどのことが分かるんだろう。

そんな答えのないことをつらつら考えつつ、あくまで自分勝手な解釈をするなら、私は感情と表現のバランスが一番いい気がする、冒頭の「道」が一番好きです。歌わなきゃ、と歌いたい、の間をいってる感じがする。