4.28.sat. GWは結局昼寝。

電車が川の上を通りすぎたときに、まるで飛んでいるような気がしたのはなぜだろうと思い、光が明るいからかもしれないなぁ、と思った帰省の途中。今は春!とにかく春だ。窓越しの景色が発光して迫ってくるよう。短い桜よりも、黄色から青く変化する若葉の時期の方が私は好き。どちらかといえば早い時期の柔らかい緑色がよく、GWあたりになると青々と力強くなりすぎてちょっと気持ちが負けてしまう。おお、お前もうそんなに大きくなったんかと、他人の子の成長を見るようです。ともあれ、気持ちのいい時期。GWの私の予定は、一に家族サービス、二に掃除。三に自分へのサービスを持ってきたいものの、今のところ何をしてあげようか、思い付かず。仕事が立て込んでいたまま連休に雪崩れ込んでしまい、休みのプランニングが追い付いてない感じです。結局、天気のいい日の昼寝あたりで落ち着いてしまうかも。あとはワインとチーズで映画鑑賞とかかなぁ、しょっちゅうやってるけど。

3.19-25 さくら咲く

たとえ念願の何かが叶ったわけでないとしても、桜が咲くと気分が浮き立つ。ただ楽しいだけでなくて、楽しさを早く味わわねばという焦りも混ざった気持ち。花見を、はやく花見をせねばならん。

 

3.18.mon.

最近やってるiPhoneのCMが好き。セルフィーを推奨するシリーズで、自撮り写真と一緒に、自分自身をグレートだと称えるメッセージを流すだけのシンプルなもの。その途中でcolorfulという単語が出てくるのだけど、使われ方が、華やかとか、生き生きとした、という意味で使われていて、面白い。日本人の感覚に直結しない意味でありながら、伝えたいことがすごく伝わる。カラフルな、つまり色彩が豊かな状態は、確かに華やかで生き生きとしている。

 

3.21.wed.

グレイテスト・ショーマン」を観た。本当は「欲望の翼」を観に行くつもりだったのに、時間に間に合わずにまぁいいか、という軽い気持ちで。

ところが。いやぁ。まぁ、泣くよねThis is meは。何か不意打ちのようにぼたぼた泣いてしまったけど、きっとあれ目当てのお客さんもいるってことよね。「そこのけそこのけ私が通る」的なところで一気にピークが来ました。

何がすごいって、話の流れでは全然泣いてない自分がいて、完全に音楽と演者のパフォーマンスに泣かされてるっていうところ。映画は賛否両論らしく、ストーリーの浅さが批判されているらしいのだけど、私は却ってその方がショーそのものに集中して感動できる気がして、まぁいいんじゃないか、と思う。もうストーリーとかどうでもよくない?だってすごいよパフォーマンス、みたいな感じです。グレイテスト・ショーマンではなく、グレイテスト・ショーを観たと思えば納得できる。例えば、主演のヒュー・ジャックマンの体のよく動くこと。そして裏も表もない分かりやすさ。人物造形にも心理描写にもさほど惹かれない分、純粋にパフォーマーとしての質の高さに唸ります。カーライルのほうが歌もダンスも鈍くさくて、その分映画として人間味があった気がする。

音楽はどれもキャッチーで完成度が高くて、ハズレがない。衣装や演出もすばらしく、サーカスという舞台でありながら、実際には場所を制限しないミュージカル映画の可能性を感じた。ラ・ラ・ランドの方が映画として洒落てると思うけど、こっちのほうが、エンタメとしては潔い。

 

3.25.sun.

欲望の翼」はなんと大阪では30日までしかやってないらしい。本当は午後から仕事をする予定だったのだけど、先に映画を観てくることにする。先週から三本目。さすが春休み?、映画づいてる。

主だったウォン・カーウヮイ映画で観てない作品だったので結構期待していたのだけど、そんなでもなかった。私がさほどレスリー・チャンに惹かれないというのもある。レスリー好きなら垂涎のアップ連続ぶりであった。若いアンディラウも出てて、私は彼の役の方が実直そうで好き、ていうか安心。さ迷える青春もよいけどさ、やはり定職は大事だろう。

恋する惑星」を観たときも思ったのだけど、私は香港映画で描かれる暑さと湿気に強い嫉妬を覚える。マンションで戯れる恋人の胸の谷間の汗が、妙に羨ましい。まず谷間が羨ましいっていうのはあるが(香港女優はすらりとしつつも肉感的で色っぽい)、夏場、汗をかくほどの部屋の暑さって、たぶんかなり長い間経験してない気がする。それに、そんな暑さにもう耐えられなくなってると思う。クーラーの効いたオフィスに慣れきって、私の肌はすっかり汗に弱い。だから、暑い季節を素のまま受け止めきれなくなった私にとって、暑くて気だるい香港の夏は眩しくて、懐かしくて、羨ましい。

3月も2週目

3.11.sun.

東日本大震災から7年。強い悲しみを味わったとき、当人の心境として、その悲しい出来事の前と後では自分が全く変わってしまったような気がするものだと思う。前の自分がどうだったかを思い出せず、同じ状態には戻れない。時間が経てばショックは和らぐけど、記憶は無くなりはしない。7年前に家族や友人を無くした人たちの今を追うニュース番組を見ながら、その人たちの顔のどこかに悲しみのしるしのようなものがないか探してみるのだけれど、テレビで見る限りでは分からない。母親を亡くした女の子が、7年経って可愛い娘さんになっているのを見ると、悲しい出来事が綺麗な盛りに影響しなくてよかったなと思うのと同時に、言われなければ悲しみを抱えていることには全く気づけないんだなと思い、つくづく、他人のことは分からないものなんだと心に刻むことにする。私はこんなに悲しいのに、それを正しく伝える術はない。言葉は不十分だから。そして私の悲しみを、周囲が分かることはない。喜びはそうでもない気がするのだけど、悲しみはそれ自体が孤独。

 

3.16.fri.

友人達の間で賛否両論だったシェイプ・オブ・ウォーターを観てきた。途中、水気の多い画面とビールのコラボでトイレにいきたくなってしまい、集中力が落ちてしまったので反省。今後、映画館でヒールを飲むときは、たとえ時間が迫っていてもトイレに行くことを誓います。お話はいたって正統派、おとぎ話の安心感(もちろん、振り返ってみればってことで、観てる間は結構ハラハラする)。主人公や周りの人たち、例のアレなど、人物造形やデザインが個性的で、ピュアで楽しめた。ただ、少々敵役をシンプルにしすぎたせいで、却って主人公たちの繊細な感情表現が妨げられたような気もする。マイノリティの孤独感、恋愛の喜びと悲しみを、ファンタジーだからこそもう少しリアルに味わいたかった。イライザが歌い出すシーンが一番よかったけど、ファンタジックにしないほうがもっと沁みたかなぁ、とか。

 

3.17.sut.

人生最高レストランを見てぼろ泣きする。見城さんの仕事観っていつも泣かされるのだけど、それはすごいなぁと感動するというより、何やってんだかなぁ自分、という反省の泣きだと思う。泣くのは後悔してるからだって誰かがいってたから、私は何も努力してない、何もできていない、と反省しつつ、そんな自分にとても後悔してるんだろう。しかし、編集者って人間力だなぁ。圧倒的努力、による、人間力。憂鬱じゃなければ仕事じゃないんだって。でもまぁ、それなら、私最近憂鬱だから結構仕事してるかもしれない。

映画『キックアス』を観た

年末にHuluに加入し、観れてなかった映画をあれこれ見てます。香港映画が一段落したので、キック・アスで一旦クールダウン。

クロエ・グレース・モーリッツを有名にしたアクション・コメディっていうのかな、やりたい放題のヒーロー物です。刺激強めでブラックで、でも見終わったらスカッと爽やか、コカ・コーラのような映画。アメリカだけに。

以下、ネタバレ含みます。

私の一押しはヒット・ガール役のクロエの『口』。変装したときにマスクの下から小さい顎と口が見えるんですが、この怒ってひんまがってる口が実にかわいい。ふわふわの子猫が真剣に怒ってるときのような、なんとも言えない、いたいけなラブリーさです。そんなラブリーな姿で銃をぶっ放すのがまたかわいい。特にクライマックスのアクションシーンは、かっこいい音楽と共に銃撃戦から肉弾戦までフルコース。悪そうなギャングの手下をがんがん殺しまくります。“悪い噂なんて気にしない、私は好きなことをする”的な歌詞に乗せて、まるでプロモーションビデオのよう。アメコミ映画はあんまり好きじゃないのに、この不謹慎な感じはなんかいいなぁと思いました。不謹慎さでテンションあがる感じ。学校をサボるような背徳感のある喜びです。たぶん、普通のアメコミ映画はあんな愉快な格好してるのに、妙に悲壮感とか正義を漂わせるのが感情移入できないんだと思う。スーパーマンの配色とか、罰ゲームのようだよ。

不謹慎といえば、人はとにかく死にます。それも結構残虐な感じで。マシュー・ヴォーンの映画は『キングスマン』を観ていたのである程度予想してましたが、今回観て面白いなと気づいたのが、冒頭のセットアップのうまさです。これから始まる映画は結構不謹慎で、人がばんばん死んじゃうけど映画だし笑って許してよ、的なマインドセットがうまいんだなぁと。例えば一番はじめのシーン、ヒーローに憧れる若者(本筋には全く関係ない)がヒーローを真似てビルから飛び降りて死亡。次のシーン、シリアルを食べる食卓で主人公の母親が動脈瘤で突っ伏して死亡。このあたりで、この映画における死に方がなんとなく分かります。残虐さをブラックユーモアととらえるルールも。それを楽しめるかが肝要です。

監督がそんなことを目指したのかどうかは知りませんが、とりあえず扱いが酷いというルールからは正義も悪も逃れられない、という点において、登場人物達は平等です。そして、悪だけでなく、正義が手段においてモラルから逸脱しているほど、なんだか妙に解放感が味わえます。全く人を殺したいわけではないのに、「人を殺してはいけない」という社会的ルールに縛られている窮屈さから解放されるってことなのかなと、思ってみたり。あるいは、過剰防衛・過剰攻撃がもつやり過ぎ感が、無意識のうちにバランスをとっている日常のもやもやを解消してくれるってことかもしれません。

つまり、やっちゃダメなことを映画でがんがんやられると、うわぁ酷いと思いながらも、それを楽しんでストレス発散してる自分がいるよね、てことです。うん、最初からそう言えばよかった。

なんだかもやもやする夜に、ぜひどうぞ。

キングスマンも、面白いです。ノリは一緒です、悪しからず。

 

キック・アス (字幕版)
 

 

キングスマン(字幕版)
 

 

 

(随時更新)姪にジブリDVDを贈る順番を考える

毎年、姪っ子の誕生日に絵本を贈っていたのですが、下の子も出来て絵本ばっかり選ぶのも飽きてきました。

どうしようかと考え…そうだ、そろそろジブリを見せようと思い、5歳の誕生日に「となりのトトロ」をプレゼント。喜んでくれました。私は「魔女の宅急便」あたりから順に見てきたジブリっ子なのですが、これからジブリ映画を知っていくって、なかなか素敵なことではないですか。うらやましいぞ、5歳児。私はトトロならもう大体台詞をそらで言えてしまうし、一番好きな台詞は「豚が雲を引いた」だ。どうだ知らんだろう。

さて、今後マスター・ジブリとして後進の指導につくにあたり、これまでとは異なる指導要項の検討が必要と思い至りました。成長過程で映画が封切られた我々第一世代と違い、これからの子どもは自分のニーズにあわせてジブリ映画に触れていけるわけです。どういう順番で見るのかも、重要なポイントとなるでしょう。できることなら、可愛い姪と名作アニメの邂逅を最高の順番で演出したい。ひとつ年を取るごとに、その年齢にあった作品と出会わせたい。

そんな空回りする気合いで、指導要項(あげる順番)を考えてみました。単なる備忘録ともいえますが。金曜ロードショーで出会ってしまう可能性はいったん無視。カッコ内は発表年。記載はすべて妄想のリアクション。随時更新します。

 

【5才】となりのトトロ(1988)

田舎の風景の気持ちよさ、お母さんが病気になった不安な気持ち、ネコバスのふかふかさ、まっくろくろすけのつついてみたさ、エンディングでテーマソングが挿入されるタイミング、などなど、全てが五感を刺激されて夢中になる。カンタがなんであんなに無愛想なのかよく分からないなぁと思いつつ、妹ができた姪は「おねえちゃん」でいることの辛さが、ちょっと分かるようになる。あと、田舎のおばあちゃんちに遊びにいったら、トトロが出てきそうでわくわくする。

 

【6才】 崖の上のポニョ(2008)

大人になると妙に怖い映画。個人的に子供の頃に見たらどう受け止めるのか知りたい。日常に非日常が混じる不思議、古代生物越しに見る水に沈んだ街、死んでるのか生きてるのか分からない幸せな老人たち。ぽにょは可愛くて、ちょっと怖い。見終わったらあのラーメンをお母さんにねだってしまう。そして何より♪ぽーにょぽにょぽにょ♪が呪いのように頭から離れない…!子供ながらに中毒症状の何たるかを知る。

 

【7才】 天空の城ラピュタ(1986) 

初めての出会い、7歳くらいでいいんじゃないかなぁ、と思う。とにかくムスカが許せない、ロボットが可哀想と、子供ながらに感じる理不尽さに怒る。そして、なんであんな動きでパズーは城から落ちないんだろう?シータのスカートがひらひらして、パンツが見えないか心配。などなど、ジブリアニメならではの浮遊感を堪能する。あんな風に浮くのってどんな気持ちだろうと思って、飛行石がものすごく欲しくなる。今度もし洞窟を見つけたら、飛行石が埋まっていないか確認しなきゃ。あと空に竜の巣が見えないか、たまに上を見上げなきゃ。

 

【8才】 千と千尋の神隠し(2001)

主人公と年齢が近くて、親近感がわく。あんな風にもし自分が違う世界にいってしまったらどうしようか、お母さんとお父さんは豚になってしまうのかなぁ、と自分に引き寄せて考える。もし豚になったとして、最後に両親を言い当てる自信はないなぁ。電車に乗って旅をするシーン、どこか悲しくて印象に残る。カオナシは最初どうかなぁと思ったけど、まぁまぁいい奴だったな。あと、まっくろくろすけ出てきたな!

 

【9才】 魔女の宅急便(1989)

なんだか洋風の設定にどぎまぎする。お母さんがお洒落、絵描きのお姉さんも自由でかっこいい。ラジオをつけてホウキに乗るのもなんか洒落てる感じがする。けど、キキはちょっと大人しくて、真面目で、じれったい。あんな意地悪な女の子にバカにされてくやしいから、もっと可愛い格好して見返してやればいいのに。ヒロインなのにな。それに、トンボはどうかなぁ、と思う。いいやつだけどさ、ちょっと頼りないよ。あと魚のパイって何やねん、と思う。

 

【10才】風の谷のナウシカ(1984)

こいつをどこの年齢で持ってくるべきか。もののけよりは先に行っときたいんですよね。王蟲こえー、巨神兵きもー、腐海逃げ場ねー。た、頼れるのはユパ様のみやでこれは…!と戦慄する。あと、ナウシカはパンツが見えてるんじゃなくてズボンをはいてることを理解する。それにしても、最後までメーヴェがどうやって飛んでいるのか分からない。あんな風に頑張れるナウシカはすごい。けど、私はきっとナウシカにはなれないとおもう。怖かったから、しばらくは見なくていいかな。(その後中学生でナウシカの漫画を読み、アニメ熱が再燃する。たぶん)

 

【11才】平成たぬき合戦ぽんぽこ(1994)

同じ年齢のときに、 年の近いイトコ達と子供だけで連れだって見に行った初めての映画。ラピュタのときの怒りとは違う、やるせない気持ちに沈んで、楽しさの反面悲しくて、泣きたいんだけど格好悪くて泣けない。そんなお年頃。この頃になれば学校で環境問題を習ったり、昔話もあれこれ知ってたりして、大人の気持ちで解釈を楽しめる。それでも、エンディングテーマの入り具合がふっきれすぎて、まだ私そんなに割りきれてないよと不満に思う。

 

【12才】 ハウルの動く城(2004)

この次にもののけ姫だと重いので、ハウルを挟んでみる。近頃の小学生は早熟で、きっとこの頃には彼氏の一人や二人いることでしょう。漫画に夢中になるか、アイドルに夢中になるかして、いっぱしの女の子になっていると予想し、二次元方向への誘惑を仕掛けてみます。最初の空中散歩でつかみはOK、この年頃なら戦時中の設定はもはやロマンスの香りしかしないはず。しかし、キムタクの声かどうかなんて、どうでもよくなってるんだろうなと思うと、隔世の感あり。

 

【13才】もののけ姫(1997)

シリーズのクライマックスにこちらをご用意。できれば私とほぼ同じ歳に見て欲しい。猿と猪をナチュラルに見かける田舎暮らしと(山犬は見かけません、念のため)、姪の都会暮らしではきっと印象が違うだろうけど。全体的にきっぱり自立したキャラクター達と真理を問う世界観に、潔癖な思春期の子がやられてしまうこと間違いなし。極限状態での愛、しかもプラトニックなやつ最高(中2病の声)。姪がやや腐女子化していた場合は、ハウル派かアシタカ派かで友達と議論になる。しかし、アシタカは格好いいけど、故郷のカヤちゃんへのあの仕打ちはどうかと思うよ。あと、ヤックルが欲しい、ヤックルが欲しいよぅ!

 

【14才】紅の豚(1992)

エンディングにはこれ。冒頭の子供たちに振り回されるシーンや、女ばっかりの工場で戸惑うシーン、存在自体が面白いカーチスや空賊たちなど、肩肘凝らずに楽しめる。美しい飛行のあとに必ずトラブルが起きる展開もいい。それに、ジブリ映画では珍しいおじさんの声が、渋さよりもコミカルさを引き立たせている気がする。しかし、豚のかっこよさ、過去を背負った大人のかっこよさ(あるいはかっこ悪さ)は、大人にならないと分からない。でも大人じゃないからよく分かんない。そんなもやもやで終わっていただきたい。宮崎監督が作って後悔したという理由も、大人になってから分かった気がします。

 

以上、私があまり好きではない映画はリストに入れていません。つまり、「耳をすませば」は恥ずかしくて見てられない、「ゲド戦記」はル=グウィンの原作で読んでほしい、「アリエッティ」はどっちでも、「コクリコ坂から」「風立ちぬ」は高校生くらいで気が向いたらどうぞ、「おもひでぽろぽろ」は20歳越えてから、「火垂るの墓」は可哀想で見てられない。その他略。

また気が変わったら書き直します。

映画『ドリーム』を見てきた

※注: ネタバレです

久々の金曜レイトショー。1960年代アメリカ、NASAの宇宙開発の裏に、差別に負けずに頑張った有能な黒人女性がいた、という実話に基づくドラマ。ガチすぎるリケジョ(というかリケママ)達が自力で地位を得るサクセスストーリーが、ファッショナブルな映像と音楽で軽やかに描かれています。

原題は「Hidden Figures」と言い、それを「ドリーム 私たちのアポロ計画」と訳したセンスが、ちょっと問題視されてるそうな。確かに、数学や工学を武器に戦う頭脳派達をドリームの一言で片付けるのは少しざっくりしすぎかも。しかもアポロ計画関係ないし(そのひとつ前の有人飛行の話なんですね)。直訳すると「隠された数字or人物」ってことで、NASAの隠し子みたいな意味になりかねないですが、見終わった印象だと「戦の陰に女あり」って感じでした。しかし、邦題って必要ですかね。日本人もだんだん英語慣れしてきてると思うんですけど。ダブルミーニングを捉えきれずに、結構損してる映画が多い気がします。

肝心の中身ですが、テーマだけだとお説教くさくなりそうな話を、テンポがよく、重くなくまとめているところがいいところだなと思いました。所々都合のよすぎる展開もあるし、うまくいきすぎなんじゃないの、と思ったりしましたが、史実に基づいているというバックグラウンドで許せる範囲かなぁ。最後、宇宙飛行士に検算を指名されたあたりは、ちょっと出来すぎな気もしますが。サクセスストーリーとしての気持ちよさはあります。

また、他の映画評にも書かれていましたが、主演・助演の3人がタフで身軽なのもよかった。たぶん、実際に黒人が権利を獲得していく課程というのはもっと地を這うようなもので、血と汗の滲むものであったはずです。同時に、働くお母さんの毎日はもっと雑事に追われ、精神的余裕のないものだと思います。もっとひどい出来事、傷つくことがあるのかも…と構えていたのですが、そうはならない。それは映画の演出だけでなく、彼女達が恵まれた環境にあるからです。有色人種として差別を受けながらも、その能力を見いだされて教育を受け、仕事にありつき、制限の中でも成果を出しているという、極めてピラミッドの頂点に近い存在だからです。加えて、これは史実なのかどうか判りませんが、夫や母の理解があり、家庭を省みないで仕事に集中できる環境だった。だから、この話は単に人種差別を覆すだけでなく、高学歴ハイスペック女性が、いかに能力に見あった地位を得るか、というピラミッドのてっぺん付近で夢を叶える話といえます。夫と子どもがいるだけで満足せず、単に働くだけでも満足せず、自分の能力に見あった地位を求めるというのはかなり貪欲な話で、その貪欲さを支えているのが、自分が優秀であるという自負です。加えて、優秀な自分が前例にならなければいけないという義務感です。だから、お洒落をするし(パールは買えないけど)、意見を言うし、ことあるごとに自分の存在を主張します。女としても社会人としても正しく貪欲で、その貪欲さで勝ち取った地位は、後進に大いに役立つものです。草の根の差別撤廃運動も大事だけど、能力で差別を覆していくのはやっぱり痛快。ピラミッドの頂点だからこそ、白人男性の差別意識に与えた影響も大きかったはずです。賢いっていうのはかっこいいってことなんだなぁと、素直に思えます。

さて、私にそんな義務はないと思っていたけど、安穏と働いているだけで満足してしまっているのってよいのだろうか、なんて自分を振り返ってしまいました。私なんてと言いながら、緩い格好で指示された仕事をこなしていることは、保身になっても範例にはならない。世の働く女性陣は、自分の働きぶりが他の女性の働きやすさとキャリアを支えているのだという自負を、ちょっぴり、持ってもいいかもしれません。もちろん、緩い働き方を体現してるんだってことならそれも反対しませんけど。

最後に。劇中で主人公がハイヒールで駆け回っているんですが、あれはどこのブランドだろう?あんなに走れるハイヒール、私も欲しい。仕事を言い訳にせずお洒落をせねばなぁとも、思わされたのでした。

すべてはホルモンのせい。

タラレバ娘の最新刊を読んで、ああ第四出動したい、けどするメンバーがいない、というこの状況をありがたいと思わなければならない、なぜなら頻繁な女子会こそが結婚の敵…!というところまで一巡して、そっと単行本を置きました。本編よりつらいタラレbarはまさかの同い年推しで、女子会を繰り返してロクなことになってない広島の5人組が羨ましくも怖い。死なばもろとも感が、なんかずどんと腹に来る感じ。

毎日もだえもだえ勉強してます。飽きると(すぐ飽きる)ぼんやり考え事をしてしまって、今できないことが強烈にしたくなる。テレビはいかんと思って消したその手で開いた雑誌を気づけば立ったまま熟読。そんなトラップ満載の自宅にはなるべく帰らず、もっぱら、駅ナカドトールのお世話になっております。

何その資格と言われ、何の役に立つのと言われ、あんた何したいのとか言われたりしていますが、それら諸々について考える時間は過ぎてしまいました、よって答える義務はありません、悪しからず。今はひたすら4択問題を解くのみ。経済学と財務を理解することは放棄しました。要は答えが合えばいいのよ。

ただ、ふと心が離れたときに、本当に私は何がしたいんだろうねぇと自分でもよくわからなくなるときがあり、こうやって勉強している間にあれもできるこれもできる、その方がよかったんじゃないのと、悪魔的なやつがささやきます。私の可能性など今やスキマ家具の幅くらいしかないでしょうが、しかし隙間の可能性を考えすぎると今を駄目にする。今私がやるべきことは、ズバリ問2を終わらせて問3をやることです。未来のあった学生の頃の方が、スキマに集中する能力は高かった気がしますね。

これは勉強中に限ったことではないですが、集中力だけでなく、感情もたいてい言うことを聞きません。無性にイライラしたり、意味もなく悲しかったり、何でもできるような気がしたり、反対にもう何ひとつやる気がしなかったり。毎日どころか毎時右往左往しています。そういうとき、私は基本的にすべてをホルモンバランスのせいにします。生理周期を調べると、女の人が機嫌よくいられるのは生理後の1週間だけで、あとは不安定かイライラかぼーっとしてるからしい。体の言いなりになっていたらまじで使えないレベルです。そりゃないよ。年換算したら3ヶ月しか調子のいいときがないじゃないか。

私はこの事実?傾向?を知って以来、端からは毎日普通に働いている私をエライと思うようになり、自分の感情の触れ幅について、意味が分かろうが分からなかろうが、ホルモンのせいにすることにしました。体の言いなり上等。

自分を今に集中させること、理由のない不機嫌と不安と悲しみをホルモンのせいにすること。結局、ひとの個性など表面的なもので、生き物としての自分を操縦することに終始するのだなぁと、この頃、思います。