祖母のキウイジャムがなかなかロックな件。

母方の祖母は何でも手作りをする人で、例えば季節折々の果物でジャムを煮ては娘や孫に配ることを使命としています。それは母性に支えられた家族への愛情や、生活の知恵といった暮らしの哲学以上に「そこに果物があるならジャムは生産されなければならない」といった半ば本能的なクラフトマンシップに支えられているらしく、祖母世代(昭和一桁世代くらいでしょうか)に特有な気がします。彼岸にはおはぎを、正月にはお節を、という風に条件反射的に仕込まれて、頭ではなく手から手へと伝わってきた味というか。

そんな習慣的な産物だからか、祖母が作るものは妙な癖も主張もなく、いい意味でアノニマスでとても美味しい。祖母も褒められるのはとても嬉しいらしいのですが、うかつに美味しいなどと言おうものならますます使命感をもって大量生産されてしまうので注意が必要です。ああ、ジャム?うん結構美味しかったよ。いや2瓶も要らんよ腐ったら悪いし(でも美味しいから1瓶は絶対欲しい!と内心舌なめずり)、くらいが適切。そう言ったとしても2つ持たされたりします。

で、先日もらったのがこれ。手作りキウイジャムです。甘くてジューシー、ゴールデンキウイみたいな味がします。

f:id:ryoko-m:20160216005916j:image

この原料のキウイ、実はうちの実家で取れたもの。庭の隅にキウイ棚があって、毎年呆然とするほど大量のキウイが採れるんです。満開の藤棚を想像してもらって、花を全てキウイに差し替えてみてください。どうやって食べたらいいのかちょっと呆然としませんか。

キウイ棚を作ったのは祖父ですが、作って満足してしまったらしく、今ではほぼノータッチ。毎年毎年頭を悩ませているのは母です。結局、腐る前にと秋の終わりに大量に収穫し、もて余した一部を祖母に提供。冬になった頃キウイはジャムになって帰ってきます。

なんだか、キウイを貨幣にジャムと交換しているみたいな感じです。そしてそれが市販のものに負けず劣らず美味しい。毎年漫然と実るこれといって価値のないキウイ達が、価値あるジャムになって有り難がられる、その不思議な感じも同時に味わっています。

うちの田舎ではこういう手作りのものがしょっちゅう交換されていて、そもそもお裾分けを想定して漬物やら梅酒やら餅やらお菓子やらが各家庭で大量生産されています。もちろん原料は購入したものがほとんどですが、やれ石油が値下がった、バターが足りないという世間の動きとは切り離された空間で、日々顔見知りとの物々交換で成り立つコミュニティが存在しているわけです。普段どこの誰とも分からない人に自社の商品を売って、それで得たお金でどこの誰とも分からない人が作ったものを買う、経済の仕組みの中に完全に取り込まれて生活している自分を振り替えると、田舎の手作り文化の逞しさがちょっと眩しい。どこの業者も介さず、流通にも取り扱われずに人の手を渡ってきた、原価ゼロ円のジャム。貨幣経済なんぼのもの、美味しさはお金じゃないでしょと言われてる気がして、うーん、お主なかなか、ロックな精神じゃのう。