志村ふくみ展@京都国立近代美術館:あとの祭り、色の備忘録

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もう先々週になりますが、志村ふくみ展に行ってきました。数年前、藍染に挑戦する志村さんの様子をテレビで見て以来作品が気になっており、着物を嗜むようになってからますます興味を持っていました。代表作が揃う今回の展覧会は願ったり叶ったりということで観にいってきたのですが…会期終了に焦って、予備知識なしで見に行ったのがよくなかった。ああ、超もったいない。アレもコレも知ってればもっと楽しめたのに、私の、私の馬鹿…!という話です。せめて会期中に知っときゃよかったネタを投稿しておけばよかったのにそれもサボったので、全体的に後の祭りではありますが…作品展はまた開催されると思いますので、それまでの備忘録ということで。

私が知らなかったこと

染色の原料が分からない、染め出されてた色の意味が曖昧、着物のタイトルの示すものもぼんやり。でもそんなことは放ったらかしても美しいものは美しい。後でしまったと思いましたが、見ている間はただただ美しくって、すべて手で染めて織られたものなんだと思うと背筋の伸びる気がします。純粋に作品を見て楽しめたという意味では、何も知らなくてよかったかもしれません。とはいえ、分からなかった色や言葉は遅ればせながら読み始めた志村さんのエッセイで全部分かったので、自分のためにまとめておきます。

刈安は、緑の地ならしをする『黄色』

綺麗な深い緑色の着物には、染料として刈安と藍の表示。かりやすって読むのかな、何だろうこれ。向こうの黄色い着物は刈安だけだから、つまり黄色ってことかしら。推測は大体合ってましたが、黄と青を掛け合わせないと緑に染められないって、知っていましたか。

植物であれば緑は一番染まりやすそうなものですが、ふしぎと単独の緑の染料はなく、黄色と藍を掛け合わせなければ出来ません。黄色は黄蘗とか、刈安、くちなし、福木で、中でも堅牢だと言われている刈安を椿の灰で媒染しますと、青味の黄色になります。(中略)これを青味の黄色と重ねると、素晴らしくきれいな緑になるのです。 

掛け合わせなければ出ない緑だと知っていれば、私の緑を見る目も違っていた気がします。平和や調和を示す色ですが、染め出すときにもハーモニーが必要ってことね。ちなみに刈安はススキのような草です。八丈島で染められたものを黄八丈というそうな。あ、なるほど。

甕覗きは、人生の佳境を過ぎた『水色』

最初に志村さんを知ったのは確かNHKの「プロフェッショナル」でした。典型的でしょ。展覧会の小布を集めた展示の一角で「甕のぞき」の文字を見て、ああ、思い出した、確かこの色を出そうとして出せなかったんだと記憶が蘇りました。その色が目の前にあるのですが…奇跡のような青、を想像していたのに案外あっさりとした色合い。へえ、これが難しいのか、と正直思いました。

白い甕に水をはってのぞいてみる、その時の水の色をかめのぞきというと最近知らされた。(中略)仮に一つの甕に藍の一生があるとして、その揺籃期から晩年まで、漸次藍は変貌してゆくが、かめのぞきは最初にちょこっと甕につけた色ではなくて、その最晩年の色なのである。(中略)浜辺の白砂に溶け入る一瞬の透きとおる水のように、それは健やかに生き、老境に在る色である。決して若者の色ではない。風雪を越えて老境に生きる人の美しさをもし松風にたとえるならば、まさにそういう香りある色なのである。

何がよいって文章が美しいですよね。白砂に溶け入る水の色がどうなのか、私の暮らしでは思い浮かびませんし、事実マイパソコンで変換が上手くいきません。まぁそれはよいとして、つまりあの水色は悟りの水色なのです。藍甕の中で藍分がだんだん盛りを過ぎて、雑味をなくした一瞬に染められる色。ううむ、私のような若輩者に分かる色でも、似合う色でもなさそうです。しかし、藍染いいなぁ。かっこいいなぁ。いつか欲しいなぁ(贅沢!)。

蘇芳、紅花、茜は、女性を象徴する『赤』

赤の染料は馴染みがありますね。どれも聞いたことがあるし、茜色、紅色など名前も分かる。でもその赤がどう違うのか。日々印刷物を色見本と見比べて、あ、ここにマゼンタちょっと足してくださいみたいな雑な色指示を出している私には、知るべくもないのです。うう。でも言葉の響きから何となく想像しました。蘇芳は深くて情熱的な感じがするし、紅花は華やかで可愛らしいし、茜はきりっとした感じがする。すべて同じ赤でも、どこかで植え付けられたのか、言葉に持つイメージが違います。 

蘇芳の赤、紅花の紅、茜の朱、この三つの色は、それぞれ女というものを微妙に表現しているように思います。(中略)あらゆる赤の中で、この蘇芳の赤ほど、真っ当な女をあらわして嘘のない色を知りません。(中略)蘇芳は女のしんの色です。紅の涙といいますが、この赤の領域には、深い女の情を持った聖女も娼婦も住んでいます。(中略)紅花の紅は少女のものです。蕾のひらきかかった十二、三歳から、十七、八歳の少女の色です。(中略)花弁ばかりをあつめて染める紅花は、移ろいやすく、陽の光をうけると、すっと色が逃げてしまいます。(中略)茜は、しっかり大地に根をはった女の色です。生きる智慧を持った女の赤です。蘇芳が情ならば、茜は知でしょうか。

志村さんは、それぞれの赤を女性に例えて表現しています。こんな風に表現されてしまうと、赤を選ぶのにも覚悟が要りますね。紅花をまとう歳は過ぎたようだけど、蘇芳を身に着けるのは恐れ多い。私には茜かしらと思ったけれど、それにしたってもっと潔さが要りそうです。

 

こんな風に、知ってりゃよかったと思うのもとりあえず見に行ったからだと言うことで、次の機会にはぜひ、エッセイを攻略して頭でっかちになってから出かけて行って、それを忘れる美しさを堪能しようと思った次第です。あ、着物のタイトルには源氏物語や古文の知識があればなおグッドぽかったです。若紫とか野分とか、久々に聞いたわぁ。

 ※文中の引用はすべて『一色一生』(講談社、1993)より。

一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

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語りかける花 (ちくま文庫)

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