失恋で死ぬ人はあまりいないわけで

宇多田ヒカルの「Play A Love Song」にはまってしまって頭のなかでずっと鳴ってます。特に、キャンウィープレイア、ア、ア、って繰り返すところがもう何万回と。爽やかで調子がよくて、結婚式ソングにぴったりだなぁ、と思ってよく聞くと微妙な歌詞が何ヵ所かあり、さすが宇多田ヒカル一筋縄ではいかないな、と思ったのでした。“ぼくの親がいつからああなのか知らないけど、君と僕はこれからも成長するよ”、うん、リアルなだけに場がちょっぴり凍りそうだ。

「初恋」は、「SONGS」を見てすぐにアルバムをぽちっとするという、理想的なカスタマージャーニーを辿りました。番組のなかで宇多田ヒカルが、人にとって初恋は、つまり最初の恋の対象は親で、その関係性を結局歌い続けている、というようなことを言っていて、彼女の歌が好きな理由がとてもよくわかった気がしました。恋や愛を歌うことが、一番身近で一番よく分からない家族を知りたいという願いであるのなら、とても普遍的なことだなぁと。その普遍性に惹かれるし、ある意味落ち着くんだろうなと。ついでに、最近若いアーティストの歌を聞いても若いなぁとしか思わなくなる理由もちょっとわかった気がしたのでした。ヒトが性的に惹かれる異性に恋い焦がれられる期間は結構短く、ついでに対象は狭い。貴方に会いたくて死にそうとか、ふられたから死にたいとか、そういう気持ちは長続きしない。一方で、家族を思う気持ちは比較的長持ちするし、大体みんな持っている。その差かなあと。わ、若い子の感性についていけなくなった訳じゃないんだからね!とか強がっておきたいお年頃です。

ほぼ同い年(早生まれにつき一歳上という)のアーティストの活躍は、私にとって感性の試金石。まだ表現できる、まだ感じられる、という。あくまで理論的には。