ほんとうにヤバイときはドラミちゃんが来てくれる

あと「水曜日はもうどうにもならん」。

BGM聞きながらなんとなくJ-POPの歌詞にありそうな言葉を思い付こうとしたらこうなりました。仕事が煮詰まっておりますゆえ、心の叫びが投影されてます。水曜日にしてこの進捗、そして水曜日にしてこの疲労。確かにどうにもならん。そしてタイムマシーン、もとい、ドラミちゃんは来てくれない。

BGMは今をときめくあいみょんでした。失礼ながら、名前的にもっとふざけてると思ったらちゃんとした歌ばっかりで、私ここ二、三日ずっとYouTubeでループさせてます。米津玄師とかもそうだけど、最近の人の歌はとにかく心地よい系というか、快感のツボを押すのがうまい気が。スマホゲーム世代だからかな、とか言うと知ったかぶりで起こられるんでしょうかね。分かりやすいのに癖になる感じ。エデュケーションするというより、おもてなしされてる気分です。

愛がほしいとか恋が難しいとか、聞き流しちゃいけない人生の大事を歌っているのに、絶賛BGMになってしまう悲しき仕事中の30代。でもあれ、「マリーゴールド」の最初のところはいいですよね。風が吹いたら気持ちが騒いであなたが愛しい、的なところ。風が吹いても騒ぐ恋心というより、風に気持ちが揺れること自体が、ああ、おねーさんにはなんだか眩しい、と思いました。

妄想ライフステージはかなり先いってる

妄想がひどいタイプです。

共働きで忙しい毎日。夫は帰りが遅いから、子供の保育所の迎えは私が担当しています。いつも周囲の協力で定時に上がらせてもらってましたが、今日に限って緊急トラブル発生。契約タレントに関する急ぎの対応が必要で、どうしてもその場にいないと収拾がつきません。一応夫にLINEしてみたものの、どうせダメ元。まずは保育所に頼み込んで預かり時間を延長してもらいました。あとはとにかく可能な限り早く仕事を終わらせてダッシュしよう。一人取り残される息子のことを思うと胸がきゅっと痛みます。無我夢中で仕事を終わらせ保育所に向かったら、息子がいない。LINEに気づいた夫が仕事を抜けて迎えにいってくれたらしいんです。もちろん仕事中なので、なんと子どもを連れて外で打ち合わせ中とのこと。私も急いでそちらに向かいます。息子は大人たちに遊んでもらって楽しそうでしたが、走り回った私はもう汗だく。子どもを抱き締めて、ごめんねと言ったら、人前なのになんだか泣けてきました。トラブル発生時に、ためらわずに息子よりも仕事を選んでしまった気がして、申し訳なさが急に押し寄せます。さすがに夫が慌ててフォローしてくれますが、大丈夫と言わなきゃと思いつつ、正直言える自信がない。どうしよう、こんなことでは…

というところで、ちょっと涙ぐみながらトイレで我に返りました。

いや私息子いないし。結婚すらしてないし!なんかちょっと設定に願望入りすぎてるし、展開が微妙にご都合主義だし…我ながら涙の無駄遣いとしか言い様ありません。しかも妄想の中での自分の気持ちがリアルすぎて今から共働きが不安になるという。繰り返しますが、息子いないし、結婚もしてないくせに、です。どうせならこんな半端なリアリティを追求せずに、もっとクリエイティブな妄想をお願いしたい。

ちなみに最近しなくなりましたが、結婚式の親へのスピーチを組み立てて、妄想で読み上げては涙ぐむ、というのもよくやってました。だから私、結婚の予定はないですけどスピーチ原稿の内容はかなり仕上がってます。最近しなくなった、というのが不安ですが…まずはこっちから実践したいところだなぁ。

お化粧未来孝

特に苦手という訳ではないですが、さりとて上手でもありません。お化粧のことです。すっぴんと違いすぎて驚かれることはありませんが(たぶん、今までは)、メイクで別人になれるような顔立ちではありません。むしろ高校時代、演劇部でドーランを塗られたときに「どんだけ塗っても顔変わらん!」と笑われたくらいです。

確実に言えるのは、とにかく朝が苦手。メイクの時間が足りません。その昔読んだ学術書に、「化粧によって素肌が発見された」とありましたが、ああその通りだ、と思います。化粧がなければすっぴんという概念は存在しない。しかし存在してしまっている現代を生きる私は、やはりすっぴんではもう会社にいけません。仕方なく、何かを犠牲にして毎朝お化粧をするわけです。根本的な問題として睡眠時間を犠牲にすればよいのですが、睡眠欲を上手にコントロールできた試しがありません。

さらに余談ですが、昔はたまにすっぴんで会社に行ってましたが、意外とばれますのでお気をつけて!女性にとおもいきや、男性にばれますので。

そんな私の最近のブームは落ちないリップことオペラのティントリップと、まつげのカールを癖づけると言い張るケイトのラッシュフォーマー。後者は正直よく分からないんですが、ティントリップは普通のよりも持ちがいいと思います。化粧も面倒なら、輪をかけて化粧直しが面倒なので、できれば朝仕上げたら夜までほったらかしたいんです。最近のファンデーションは塗らないより塗った方が肌にいいという逆説的なのも出てきてたりしてるし、いっそつけっぱなしにできるメイク用品を出して、作りおき感覚で夜にメイクして寝ても大丈夫、とかにしたらどうでしょう。もしくは流行りのフェイスパックにお化粧を施して、ぺろっと顔に貼るだけでメイク完了。これなら好きなメイク方法を洋服感覚で選べます。さらに進化させるなら、電子ペーパー的なものを顔に張り付け、肌の調子や気分に応じて色の変更ができる、つまりメイクのカラートーンを好きに変えられるとか。LEDとか使えばできるのかなぁ。この辺までくるとかなり未来です。別の切り口では、人工皮膚とかもあるかもですね。iPS細胞から作る肌のクローンを加工して、朝はそれを貼るだけ、とか。

毎朝塗って、毎晩落とす。この繰り返しのループをあとうん十年続けなければいけないんだなぁ、と思うと、もうちょっと進化してもいい気がします。今の世の中、とりあえず書いておけば誰かが開発してくれるとも限りません。文句ともども、ジャストアイディアとして残しておきます。電子ペーパーは皮膚呼吸できなそうだから、シートマスクくらいが妥協案かなぁ。

ちなみに「勝ってくれた」「感動をありがとう」とかも嫌なタイプです。

大坂なおみちゃん、全豪オープンでついに決勝へ。これを“日本人初”でくくるのに違和感ある方~。

はーい。私はありますねぇ。ハーフだから日本人じゃないなんて思ってる訳じゃないんです。けれど、彼女の弾むような筋肉質の体型や、背の高さ(大きいのにびっくりしました)、流暢な、もう英語圏の人であることが明確な英語での受け答えを見ていると、彼女の強さが、いわゆる日本人の特質ではないところに起因しているように思えて、単純に日本人初ですごいなぁ、同じ国民として誇らしい、なんて、簡単に喜んではいけないように思うんです。同時に、日本人の他の選手に同じような成果を求めるのも無理があるように思います。

もちろん、日本の選手でいることを選んだのは本人ですが、「日本人であること」が所与の条件ではない人にとって、勝利や努力を安直に日本に結びつけるのってどうなの、と。それは彼女の持つ特性の1つでしかないし、一部分だけを要因として取り上げる偏った見方に感じます。スポーツ選手の努力や勝利は、もっと本人のものであってほしい。それは、日本で生まれ育った日本人であっても、同じなんですけどね。無理に「日本」の枠に押し込めて、なおみちゃん嫌にならないかなぁ、なんて心配してしまいます。

同時に、謙虚な姿勢やコメントを指してやっぱり日本人、なんて言うのも違うんじゃないかと。そんなの、彼女が元々とっても謙虚でかわいらしいからでしかない。昨日なんてオンエアーかどうか確認した後に「おじいちゃん誕生日おめでとう~」とか言ってましたからね。なんてかわいいんだ!はにかんだ喋り方もキュート。

テニスのルールもろくに知らない私ですが、大坂選手に関してはすっかりファンです。ピュアで明るくて度胸満点。気持ちのいい性格だなぁと思います。失礼ながら、どこか神経質で完璧主義そうな錦織くんより、見てたいと思える。なので、次の決勝ではぜひベストを尽くして欲しいし、勝ったからといって日本人うんぬんかんぬんとかの枠にはめずに本人の努力と才能を誉めて欲しいし、本人もそんなの気にせずフリーな気持ちでいて欲しいし、でもやっぱり日本の選手でいてほしいなぁ、という、ちょっぴり複雑めの気持ちで応援しています。

心変わりのシミュレーション

シミュレーションかシュミレーションかって、いつもどっちか分からなくなりませんか。これで合ってますかね。

女35歳、ぶっちゃけ婚活中です。そういうことを人前で言えるようになりました。さすがに焦ってますね。ときどき、なんで結婚したいんだろう、それって必要?と思うことがあるんですが、我に返るにはまだ早い、と自分をたしなめています。こういうのは勢いが大事。だと思う。

本音を言うと、好きな人と付き合って、結婚したくなったらする、みたいなのが理想ですが、たぶん少なくとも5年は遅い。まーもうこの歳でそんな悠長なこともなぁ、結婚できそうかどうかでフィルターかけとかないと、とも思っており、具体的に考え出すと冒頭のそもそも論に戻りそうなので心の蓋をしています。

いよいよ本格的に親も焦りだし、母親だけでなく父親もはたと気づいたらしく、先日の家族旅行で「お前は一体いつまで親と旅行にいくつもりか」と真面目に聞いてくる状況。こちらは親孝行のつもりでしたが、いやぁ、逆でしたか。

という感じですので、友人知人があれこれと人を紹介してくれて、いつもありがたい限りです。結婚式を楽しみにしている、なんて言われるとちょっと夢が膨らみます。その後鏡を見てすごくプレッシャーを感じてますが。この歳でウェディングドレスはさすがにキツくないか…?ニーズはあるのか…?再び心の蓋をしましょう。今考えても100%意味がありません。ひとりウェディングっていう手もあるけど、これも少なく見積もって5年は以下略。

そんな中、しばらく気になっている人がいます。なんか気になるわぁ、と思って1年半くらい、全く進展していません。別にやましいことがあるわけではなく、プライベートの知り合いではないので、迷惑をかけたくない一心で「なんか気になる」ステータスを維持しています。

全ては一人相撲なのですが、これがまぁまぁ心理的にバランスを取りにくい。会う日はちょっとテンションが上がるので、前向きな気持ちで仕事に取り組めます。なんなら多少のお洒落や化粧を頑張ります。少しでも意識すると緊張するので、うまく説明したり、ややこしい依頼がしにくくなります。仕事に追われ始めるとそれどころではなくなり、かなり事務的な言い方で、面倒な依頼や急な相談をせねばならず、緊張感はなくなりますが、どう思われてるのか気になって後からちょっとへこみます。迷惑をかけてはいけないという義務感に、パワハラや逆セクハラへの不安感が加わり、軽い雑談や冗談を極力避けます。

結果的にこの上なくビジネスライクな関係性となっており、本音とはうらはらに仕事ばかりが順調に進んでおります。たしかに、今の私から仕事を除いたらほとんど何も残りません。だから結果オーライなのかもしれないけれど、試合に勝って勝負に負けてないだろうか、自分。先方の視界にも入ってなさそうなので、正直無理ゲー!と思いつつ期待を捨てられないのは、まぁ、やっぱり気になるんでしょう。仕事に前向きになる、お洒落を頑張れるというポジティブ要素だけを残して、他は処分せねばと思いつつ、ずるずるしてます。あくまで心の中で。

紫門ふみの恋愛についての有名な言葉で、男は絵画をかけ、女は音楽をかける、みたいなのがありますが、男女の違いは置いておいても、私にとっては確かに音楽かもねぇ、と思います。絵は1度に複数見れても、同時に何曲も聞くことは難しい。しかし、私はあえてそれにチャレンジしたい、いや、せねばならんと思うのです。本命を通奏低音に、サブを旋律においてひとつの音楽を奏でられないだろうか。そしていつの日か伴奏なしの主旋律だけで演奏が成立しないだろうか…!

なんか美しい例えにしてみましたが、要は恋愛気分だけをそのままに、恋愛対象を変えられないだろうか、ということです。せっかく紹介してくれる人がいるのだから、確度の高い方を採用したい。こちらに興味を持ってくれている人と付き合った方がよいに決まってます。

そうは問屋が卸さない、のが恋愛なんでしょうが、とりあえず付き合っちゃえば案外あっさり心変わりをするものでもあります。私の少ない恋愛経験からいっても、付き合えれば忘れられます。だからなんとか、今の物件数があるうちに、どうにかならないだろうか。自分を差し置き、偉そうな話をしていることは分かっています。しつこいタイプなので、そんなにすぐに気持ちは変わりません。あわよくば、とか、つい思います。でもなぁ、やっぱりそろそろ結婚したいしなぁ。彼氏のひとりいたってバチは当たらんだろうしなぁ。

誰に知られることもない一人相撲の果てに、心変わりのシミュレーションをしてみる最近です。

映画『アリー』を観てきた

占いによると私の2019年は「愛と創造の年」なんだそうです。そうだクリエイティビティを思い出すんだ、と言うことで年初からブログ再開してみます。年初というか、仕事始めね。

 

暮しの手帳に連載されている芝山幹郎さんの映画評を読み、評価がよければ大抵観に行くことにしています。この映画をボヘミアン・ラプソディの予告編で知ったときには、いやいや、ガガ様映画て、とつっこんで終わったのですが、芝山氏曰くベタを裏切る映像や俳優のリアリティとのことだったので、ちょっと興味がわき、結局観に行くことに。

ちなみにボヘミアン・ラプソディは機を逸しましたが面白かったです。ただ、私はクイーンを語るための言葉を持たないので、なんだかおおっぴらには話しにくい映画です。とりあえずアルバムぽちりました。聞けば聞くほどうっすらキムタクが浮かんでくるあたり(あのドラマ観てないんだけど)、所詮こんな世代よのう、と思います。

 

で、映画なんですが、思ったより面白かったです!王道といえば王道で、話に裏切られることはないのですが、変にナルシスティックでもなく、アーティストの二人の存在感、力量の確かさが真実味を与えるので、ドキュメンタリーがフィクションに編集されたような妙なあべこべ感を味わいました。すっぴんのガガ様も珍しくて、演技をしているスクリーンの中で素顔が分かるというのも、あべこべの面白さの一端かと。そんなに美人じゃない、と一緒に行った友達は言いましたが、私は綺麗だと思いました。意思が強くて賢そうでプライドも高そうな目や鼻が、そういう態度の女って嫌われるのよね、ということも見越して少しナイーブに揺れる感じに、何だか親近感を持ちました。演技なのかなぁ、素なのかなぁ。それが分かんないところが上手い映画なのかも。

で、そこへ来て圧倒的な歌唱力。何の説明もいらない歌声。話は大体分かったからとにかく早くガガの歌を聴きたかった、とやはり友人はのたまいましたが、それに関してはやや同意です。カントリー・ロックからポップスにバラードまで、歌が上手いって正義!その強さが恋人を追いつめてもなんら不思議ではない、と思える説得力です。シャロウの歌い出しなんてぞわっとしました。女の子が夢を追いかけて努力する姿にとにかく弱い。なんなんだおっさんなのか私。

そして、そんなガガ様に対して受け身の演技に徹するブラッドリー・クーパー。演技うまい歌もうまい監督もしてるのかかっけぇ、と才能を加味して私は彼にも感心してたのですが、あいにく既婚者の友人にはウケが悪く、あんな酒浸りとはさっさと別れればよかったのに、とのことで同意は得られませんでした。後から合流した友人の夫にも「泥酔して妻の大事なときに失態をおかすなんていけない。ましてやドラッグは犯罪である」とたしなめられました(この人は映画を見ていません)。うんまぁそうなんだけど。正しいのだけど。アーティストとして尊敬しながらも自分の存在が追い詰めてしまう最愛の人、てベタだけどなんか分かるやないか。見捨てられないじゃないかー。

でも私、未婚なので偉そうなことは言えません。そういうとこかも知れんぞ自分、と意識を改めておきました。

 

見終わったあとはシュラスコを食べに行ったのですが、我ながらナイスチョイスだったなと思います。肉感的な歌声の後に、リアルな肉がなんかぴったり。がっつり頂きました。所詮アジアの女なので、後でキャベジン飲みましたけど。

失恋で死ぬ人はあまりいないわけで

宇多田ヒカルの「Play A Love Song」にはまってしまって頭のなかでずっと鳴ってます。特に、キャンウィープレイア、ア、ア、って繰り返すところがもう何万回と。爽やかで調子がよくて、結婚式ソングにぴったりだなぁ、と思ってよく聞くと微妙な歌詞が何ヵ所かあり、さすが宇多田ヒカル一筋縄ではいかないな、と思ったのでした。“ぼくの親がいつからああなのか知らないけど、君と僕はこれからも成長するよ”、うん、リアルなだけに場がちょっぴり凍りそうだ。

「初恋」は、「SONGS」を見てすぐにアルバムをぽちっとするという、理想的なカスタマージャーニーを辿りました。番組のなかで宇多田ヒカルが、人にとって初恋は、つまり最初の恋の対象は親で、その関係性を結局歌い続けている、というようなことを言っていて、彼女の歌が好きな理由がとてもよくわかった気がしました。恋や愛を歌うことが、一番身近で一番よく分からない家族を知りたいという願いであるのなら、とても普遍的なことだなぁと。その普遍性に惹かれるし、ある意味落ち着くんだろうなと。ついでに、最近若いアーティストの歌を聞いても若いなぁとしか思わなくなる理由もちょっとわかった気がしたのでした。ヒトが性的に惹かれる異性に恋い焦がれられる期間は結構短く、ついでに対象は狭い。貴方に会いたくて死にそうとか、ふられたから死にたいとか、そういう気持ちは長続きしない。一方で、家族を思う気持ちは比較的長持ちするし、大体みんな持っている。その差かなあと。わ、若い子の感性についていけなくなった訳じゃないんだからね!とか強がっておきたいお年頃です。

ほぼ同い年(早生まれにつき一歳上という)のアーティストの活躍は、私にとって感性の試金石。まだ表現できる、まだ感じられる、という。あくまで理論的には。