谷根千バーサス天満橋

今の住まいは天満橋ですが、その前に住んでいたのは東京の谷根千地区。

 

環状線と山手線を重ね合わせるなら、なんとなく北東の方角、

地図の右上に陣取るのが好きみたいです。

 

でも、共通点はそれだけではありません。

根津神社の代わりに、大阪天満宮

どちらも古いですが、根津神社の方が風格がある気が。緑が多いからかな。

ただ、天神祭はテレビ中継されるだけあって盛大。

東京で言えば、隅田川の花火みたいなものです。

 

さらに、谷中銀座の代わりに、天神橋筋商店街

これは規模で天神橋筋が圧倒的。東京の商店街で言えば、武蔵小山かな。

でもクオリティなら谷中も負けていないはず。

おかず屋から肉屋、魚屋、八百屋、豆腐屋など、生活密着感は抜群。

天神橋筋は強烈に長いこともあってか、ちょっと間延びした雰囲気なのと

食材のお店はほとんどなくて、普通の食べ物屋が多いのが残念です。

 

昔ながらの街とはいえ、下町情緒には欠ける天満橋

その分、広い川と抜け感のある空と、川沿いに点在する緑の公園を手に入れて、

まあいいかと思っています。

谷根千は坂の下にあって、ぎゅっと濃縮された下町ですが、

同じ雰囲気を求めるなら、中崎町の方が近いかも。

ただし中崎町には原宿と下北沢が混じっているので、こじゃれてます。

 

そんな風に見知った知識であれこれ比べると、東阪の距離もあってか、

次元が違う別世界に引っ越してきたような気持ちになるときがあります。

千駄木にいる自分が、大阪にいる自分と同じように、平行して生きているような。

住み慣れた場所を離れたことを後悔してるだけかもしれません。

でも引っ越してみて、実家から近いとこんなに気楽なんだなぁと、実感。

要は、谷根千愛は永遠なものの、大阪も悪くないので複雑な心境ということです。

青春もいいけど、大人になるのも楽だよねとか、そういう感じです。

 

うろ覚えですが、人が旅をして思うことは3段階あって、

まずは旅の終わりに自分の家が一番だ!と思う段階、

次に旅先で自分が暮らしていけそうだ、と思う段階、

最後に自分の居場所はどこにもないことを知る段階になるべきだ、

みたいなことを、どこかで読んだ記憶があります。

 

私はたぶん二段階目の視点で旅をしているので、

どこに行こうとそこに暮らしている人の様子が気になります。

世界の名所も素敵ですが、

移動中の電車の中にいる現地の会社員の女性のことも気になります。

毎日どんな格好して、どんな仕事してるのかなと、自分に重ねて思います。

けれど、こうやって何度も引っ越しを繰り返して、

初めての場所にもあっさり慣れてきてしまうと、

私ってどこでも大丈夫だなぁという自信だけでなく、

どこだって一緒で、場所がどこかということに意味はないとも思うようになり、

特に旅をせずとも、旅の三段階目が分かってきたような気がします。

どこにも自分の居場所がないなんて思わないけれど、

世界に自分のための居場所が用意されているわけじゃないんだな、と。

 

書いてみるとこっぱずかしい限りですが、最近そう思います。