桜ほうさら(宮部みゆき)

およそ20年来の宮部みゆきのファンで、家族全員でミヤベを嗜んでおります。「桜ほうさら」は年末年始に見かけて購入。発売された時を見逃していたようで、文庫で出会えるなんて却ってラッキー。

内容はお得意の江戸物で、とっぽい浪人のお兄さんが父の死の理由を探るというミステリ仕立てです。現代ミステリと比べて登場人物に棘がなくいい人ばかりに思えますが、時代物だと人物自体が生々しくなくすんなり受け入れられるのが不思議なところ。本当に江戸の町人がこんなに心温まるやりとりをしていたかは横に置いておいて、作られた世界観の中で、人情がシンプルに行き交う心地よさを味わえるのがミヤベの時代物の醍醐味です。

物語はほのぼの進んでいくので、一大スペクタクルを求める方には向きません。ミステリとは言うものの、とっぽい青年浪人の主人公"笙之介"の視点で話が進むのがミソで、彼の"鈍さ"が謎解きを妨げていたと言えるような展開。本当は彼の知らないところでたくさんの大人が色んな思惑で動いていて、その思惑ごと受け止めることで、謎が解けるだけでなくて前に進める(しこりは残るんだけど)という、うん、やっぱりミステリというより人情ものですね。

お気に入りは冒頭です。桜を見ながら長屋でぼんやりしている主人公の元に、仕事の発注元である貸本屋がやってくる。貸本屋が長屋の引き戸を開けるときは、外れやすいおんぼろ長屋の扉がとても滑らかに開くのです。そのせいで主人公は来客に気づかず、ぼうっとしているところを見られてしまう。なんであんな風に扉を開けられるんだろう、と主人公は不思議に思うのですが…。人物の動きが丁寧に描かれているだけでなくて、それぞれの仕草に人となりや相手との関係性がくっきり浮かび上がってくる描写がお見事。読み終わった後に思い返すと、主人公と貸本屋の関係性はこのシーンに集約されていると言ってもよいです。

もう一つのテーマは「言葉が持つ力とは何か」を、書かれた内容だけでなく、文字そのものから探ること。言葉、あるいは文字を透かして奥にある人の想いを探りながら(例えばお殿様が書いた意味不明の暗号の意味を辿りながら)、一方で言葉が持つ可能性を示して見せます。写本を生業にしていた主人公は、最終章で災害時の備えを記した書物を広めることに希望を見出します。この一連の流れに東日本大震災の影響を感じたと言ったら穿ち過ぎでしょうか。つまり、あの災害をきっかけに作者が考えた、書かれた物の持つ可能性の一つなんじゃないかなあと。この提案が、主人公の成長物語という人情話の中に入れ子状態になっているというわけです。

読み始めて2日ほどで、あっという間に読み終わりました。ミヤベの小説は、読むというより飲むと言いたい。言葉が次々流れてくる、飲める小説をご堪能ください。

桜ほうさら(上) (PHP文芸文庫)

桜ほうさら(上) (PHP文芸文庫)

 

 

桜ほうさら(下) (PHP文芸文庫)

桜ほうさら(下) (PHP文芸文庫)