映画『ブルックリン』を見てきた

※ネタバレですので、よければ観た後にどうぞ。

 
チーズにもときめかない自分に活を入れようと、金曜夜のレイトショーで女の子の成長物語を見に行ってきました。
雑誌で見かけてとても気になっていた『ブルックリン』、淡々としているけれど引き込まれるという言葉につられて。あとは、ファッションが素敵だということだったので。
映画の内容は、仕事を求めてアイルランドからニューヨークのブルックリンに移り住んだ主人公の女性が、徐々に自分の人生を見つけていくという、書いてしまえばそれだけのお話です。なのですが、とても印象に残ってしまう不思議な映画です。
まずは、主演女優の演技勝ちだと思いました。見終わって、もっとずっと見てたくなるような、瑞々しくて、丁寧なキャラクターのエイリシュ。おぼこい田舎娘が洗練された都会の女性へと変身する様が、笑い方から歩き方まで表現されていてほれぼれしました。その隅々まで行き届いた演技と、着実に人生を積み上げる主人公のキャラクターがうまく重なって、一種のカタルシスをもたらします。彼女が泣けばつられて泣くし、泣きたい気分の時は、もっと泣ける。心地よい同調圧力です。
周囲の登場人物もよかったです。取り立てて立派ではないけれど、それぞれの妙な癖や弱味を愛せる人たち。同じ寮に住む曲者のお姉さん二人だって、イタリア料理を食べたことがない主人公にスパゲティの食べ方を教えてくれたりします。君らのそういうとこ、私嫌いじゃないわぁ。そういって肩を叩きたくなるような面々です。ちょっといい人が多過ぎて、ファンタジーな側面はあると思いましたが…またそれが映画全体から感じる心地よさにつながるのでしょう。
そして、故郷を離れて別の街で暮らすということ。何を差し置いてもこのシチュエーションに弱い私は、ホームシックに共感し、初めての恋愛に共感し、仕事の喜怒哀楽に共感して、うざいくらい主人公の身になっていました。アイルランドもニューヨークも知らず、1950年代も知らない私にとっては、主人公の一挙一動が普遍的に感じられるのです。手探りの状態から、何かをつかんでどんどん生活がいい方向に向かっていく、その感覚を自分の力で得たという自信。誰も知らない街を自分の歩幅で歩く喜び。一方で、帰郷して感じる親しみと疎外感。今ならもっと上手くやっていけると思う一方で、だから私はこの街を出たんだ、という納得感も強まります。不幸な姉の死、母の想いを犠牲にしてでも、自ら得た生活に戻りたい。だから、二度目のさよならは泣いてはいけない。自分で選んだ別れだからです。甲板の上で目を見開いて、遠くなる家族や友人、昔の自分、あったかもしれない暮らし、家や街や島を、目に焼き付けます。そのきりっとした表情が冒頭とは比べ物にならない自信に溢れた美しい表情をしているのです。無から有、死と再生。暮らしを一から作り上げることが、こんなにも人生を象徴しているんだなぁと、気づかされました。
そして、ここまで自分に引き寄せて解釈してしまうと、もう何に泣いてるのだか分からない。帰りの電車でも思い出し泣きしてしまって、隣のおじさんがちょっとびびってました。ごめんなさい、おじさん。私彼氏にふられたわけでも、上司に怒られたわけでも、仕事に疲れたわけでもないの。ただ女の子の成長物語に参ってしまっただけなんです。
 
という訳で、一人暮らしの社会人女性にはぜひ観てほしい映画でした。結局、主人公はちゃっかり恋も仕事も手に入れちゃうんだけどね。うらやましいことに。