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映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を見てきた

本とエンタメ

ハンカチを忘れたことを少し気にかけつつ、レイトショーで見てきました。だって、泣けるとかラストが衝撃とか煽っているし、大泣きしたら帰りの顔がみっともなくなるし。そもそも、映画でよく見るこういう売り文句はあまり好きじゃないんですよね。泣けるって言われたら騙されるもんかと思うし、ラストが意外とか言われたら最初から推測してしまうし、ひねくれものとしては素直に楽しめなくなるじゃないですか。でもまぁ、そういうのだけじゃない、何だかよさそうな雰囲気と、間違い無さそうな配役の布陣に期待して、梅田ブルク7へ。

結論、確かにハンカチ必須なくらい泣けるし、ラストも衝撃っちゃあ衝撃ですが、そんな前評判を入れなくても十分いい映画でした。宮沢りえの説得力が素晴らしく、杉咲花の演技がとても魅力的で、私はラストよりも途中の方が感動しました。

※以下、ネタバレですよ※

まず、宮沢りえがとってもいい。それはなんでだろうと考えると、役柄に関係なく役者本人が持っている存在の確からしさ、その人が振る舞うことの説得力の高さなんじゃないかと思いました。だって、余命宣告された母親がばらばらの家族をつないでいくっていうストーリーですよ。ちょっと、ベタというかお涙頂戴というか。なのに、もし余命2ヶ月を宣告されたとして、宮沢りえなら確かにあんな風に死んでいくんじゃないかと思わせてくれる、その説得力がすごいなぁと。だから、この映画はまず母親役を宮沢りえがやったことが、一番の勝因なんじゃないかと思います。強くて愛情深い、完成された母親像なのですが、時折湯から吹き出すあぶくのように怒りが沸き上がります。その感情のバランスの危うさや、怒りの強さが鮮やかな赤の印象を残して、ああ、このお母ちゃんは特別仕立てだなぁと、思わせてくれます。「紙の月」を見たときにも思ったのですが、宮沢りえは美人なのに、年齢を重ねて‘よれた’雰囲気も持っていて、平凡な主婦や下町のお母ちゃんも意外に馴染みます。あんな風に年をとりたいなぁ、と思う人のひとりです。

そして、もうひとりの主人公といってもいいのが、娘役の杉咲花。学校での内気ないじめられっこの姿と、家でクックドゥばりにごはんをパクリと食べる姿のギャップに私は妙に生命力を感じてしまいました。心は悩んでも、体は正直な思春期の女の子です。そして、死んでゆく母と生き生きしていく娘、完全な母と不完全な娘という対比がとてもよかった。ゆっくり両者の役割が入れ替わっていく過程が、物語の核だと思いました。嗚咽というよりもっと不細工に、涙をぐふぐふ堪えながら言う台詞の数々にだいぶ泣かされましたねぇ。冒頭の「数えたら11色あった」っていう台詞も印象的ですが、何も知らないときに言った「お母ちゃんの遺伝子ちょっとはあった」っていう台詞、あとからの方がじんわり来ますね。

最後に肝心のラストですが、最初に言った通り前評判を聞いてしまっていたので、何となく推測がついてしまい、、衝撃には至らず。まぁ、湯を沸かすほどの熱い愛、だもんなぁ。前評判入れないでほしかったなぁ。でも、つい先日祖父を見送った立場から言わせていただくと、人の死に様というのはあんなに綺麗なものではないです。姿形はそのままでも、死んでいるだけでその人らしさがかなりの程度失われる気がします。じゃあ湯を沸かそうかって、簡単には思わないくらい‘その人じゃない’はずなんです。綺麗なお母ちゃんの遺体と祖父の遺体を思いだして、美しさは姿や形ではなく、生きているっていうこと自体によるんだなぁと、しみじみ思いました。でも、それでも、沸いたお湯と煙突からのぼる赤い煙を、愛と言わずしてなんと言いましょう。愛とは熱量である、だから、湯を沸かすのはひとつの愛情表現の行為であると、監督は言いたいのだし銭湯好きの私も言いたいのであります。。!

 

ともあれ、スクリーン上の人の死に涙を流せるのも、私が生きている証拠です。あぁ面白かった、予告通りガン泣きですがなと心でぼやきつつ、涙の筋が流れる顔もそのままに(暗いしまぁいいかと思って)自転車をこいで帰る金曜日の夜中でした。

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