「日菓の十」展:心残りの和菓子たち
和菓子のプロデュースをしている2人組「日菓」が最後の展覧会をしているというので、見に行ってきました。残念ながら今日までですので、これは単なる感想メモです。
どうやら和菓子が来てるぞ、と思ったのがたぶん数年前。和菓子特集の雑誌を眺めてうっとりしているときに、よく取り上げられていたのが「日菓」のお菓子でした。
日常的な事柄に着眼点を置きつつ、伝統的な和菓子をベースにひとひねりした表現が、とても楽しい。見た目が楽しく、テーマを聞くとなるほどなぁと感心できる。単なるお菓子ではなく、言わば和菓子を手法に使ったアート作品です。
今回10年間の活動に区切りをつけて解散するとのことで、活動の軌跡を一気に見られるお得な?展覧会が開催されたのでした。会場は二条城近くのギャラリー。
『ない世界展』より
おにぎりの梅干を取った後に残る赤い跡をキスマークに見立てた「うめぼしのキス」、包帯を巻いた「透明人間」、錦玉にシュノーケルの先が見える「すもぐり」。透明人間の制作メモに、なんで透明なのにわざわざ包帯を巻いて目立つのか、というつぶやきが書かれてました。確かに。
壁には一面掲載誌やアイディアメモが。左側のこんもりしたの、冬眠する前の熊を表現してるんだそうです。
左上の三角はハロウィンがテーマ。何かわかりますか?正解はかぼちゃのランタンの「目」です。左下に見える野球のボールは甲子園。負けた涙ににじんで潤んでいます。
どうですか、このストーリー性のあるお菓子たち。限られた素材を使って、表現したいものを抽象化して、なおかつ手のひらサイズに収めるという、ミニマリズムの極みです。
それに、和菓子を表現の手段にするというのは、長持ちしないことを前提にしています。日常の一コマや、思いついて忘れてしまうようなもの、あるいは普段見過ごしているものなど、一瞬を切り取るテーマ設定とも相まって、食べる前から漂う、別れの予感。すぐなくなるものに一瞬を託すという、その二重の儚さみたいなものが、心に残る理由なのかもしれません。散る桜が好きな日本人の心象にも合致しますしね。
常時接続の世の中で、“すぐになくなるもの”の価値は相対的に上がっています。私たちはそれを“体験”と名付けて、こんな風に書き留めておくことで保存しようとしますが、必ずしも留められるものではないなぁと、だから心惹かれるんだなぁと、和菓子を見ながら思ったのでした。
そんなことをアレコレ思いつつ、限りなく保存状態がよいのはやっぱり書籍。記念にこれを買いました。
ちなみに「日菓」の二人が影響を受けたのはこの本で、ちょっとお高いですがものすごく美しそう。中古本で買おうか迷い中。
- 作者: 高岡一弥,高橋睦郎,与田弘志,宮下惠美子,リー・ガーガ
- 出版社/メーカー: ピエ・ブックス
- 発売日: 2003/10
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 1人 クリック: 12回
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※追加※
こんな記事を発見。「儚さ」と「日常」の話、既にまとまってました。